【メッセージ】
私の設計のスタンス:
機能的なことは勿論、いつまでも生活しやすく飽きの来ない住まいが必要で、機能だけではなく、居場所のある心地よさが溢れ、この建築家に設計して頂いてよかったと思える住まいが基本です。住まい手にぴったりくることはが要求されます。そう考えると、家づくりは人と人の関係が大切で、施主と建築家が一緒になって相乗する効果をもたらすように進めてゆくことが必要です。敷地の持つ特徴を生かすこと、内外の空間を融合させ、自然の光や空気、風などを媒介にしながら、最大限に演出する必要があります。その家の中の様々な居場所に、何気なく居ると、いつも心地よく、新鮮に感じられる、長持ちのする設計を心がけています。
ご参考までに興味のある方はお読みください。
日頃考えること。
美しい緑の多い街並みはどこに行ってしまったのか。
1980年代まではまだ都会の街並みには私有地の生け垣や庭木の茂りが住宅地の街並みにいくらかの落ち着きをもたらす作用をしていたが、世代が変わり、敷地は分割され何もないまったく殺伐としたコンクリートやモルタル、アルミの箱ばかりの街並みになってしまった。この暑い夏のさなか、住宅街を歩いてみると楽しさはない。海外の街並みにはどこに行こうがそれなりの楽しさがある。道路際の600mmは必ず緑地とする行政の指導要領を通達すれば、それだけでどんなにかその地区の街並みが改善するだろうと想像する。そうした日本の将来の財産となる工夫を積極的に考える意向は何もない。すべて機能と効率と経済性だけで判断するこの日本の現在を考えると、国際的に本当に汚い日本になってしまう。建築家として個の設計をする中で、私はそれらを常に意識し、個と全体をバランスよくデザインすることを何よりも尊重し、住まい手に納得してもらって気持ちの良い住まいを設計している。これは30坪の住宅でも15坪の住宅でもいえることだと思う。
1989年発行の「豊かさとはないか」睴峻淑子著などの日本の右肩上がりの時代の中のでの状況と何もこれらの点は進化しておらずむしろ退化しているのではなかろうか。
【プロフィール】
1966年 東京理科大学工学部建築学科卒業
1971年 丹下健三・都市・建築設計研究所
1988年 中村弘道・都市建築計画設計研究所設立
日本大学生産工学部建築工学科非常勤講師
1992年 東京理科大学工学部建築学科非常勤講師
1999年 日本大学理工学部建築学科非常勤講師
2007年 明治大学理工学部建築学科非常勤講師など若手の指導にも携わる
受賞:
1991年 景観をモチーフとした銅板屋根による住宅建築最優秀賞
1992年 グッド・インテリア・デザインコンペ 92入賞/相輪の家
1995年 せんだいメディアテークコンペ 23選/235
1996年 国立国会図書館関西館国際コンペ佳作入選/493
1997年 鳥取砂丘博物館公開プロポーザル 5選ファイナリスト/29
97年度通産省グッド・デザイン施設部門賞
小田急線秦野駅自由通路橋上駅舎ホーム上屋 鉄道協会賞
1998年 国際技能工芸大学公開プロポーザル 10選ファイナリスト/107
2001年 盛岡の家 SDレビュー2001入選
2008年「進化したヒューマン・オフィス」日本芸術センター 金賞
2009年「大不況下の複合施設」日本芸術センター 銀賞(最優秀賞)
2011年 「花見の屋」日本建築家協会年間100選
「新建築」「住宅築特集」「現代日本の建築家」「現代日本の家具」「家づくりの王道」など掲載多数
参考資料
http://www.o-uccino.jp/kenchikuka/designer_0000000282/