モンパルナスプロジェクトは、池袋より有楽町線で2駅の千川に建つ、賃貸住宅です。
全ての賃貸住戸入り口が敷地内の天空通路に面して設けられた長屋形式の建物です。近隣の住宅スケールに自然と馴染むよう軒高6m、2階建ての計画としました。南北を主軸にゆったりと広がる切妻屋根の建物を、棟方向に高さ9.7mのヴォールト中央通路が貫き、そこに東側から建物を切込む形でメインエントランス通路が交わります。基調となるシンメトリーの全体平面計画に、1F12住戸、2F14住戸の計26住戸(各34.4m²+Loft6.7m²~60m²+Loft10.9m²の全5タイプ)の賃貸住戸を組み込んでいます。
モンパルナスプロジェクトの背景
池袋駅より有楽町線、副都心線にて2駅の千川。この地にはかつて昭和初期より、100軒あまりの貸アトリエが建てられ、いくつものアトリエ村が散在していたそうです。これらのアトリエ村は、1920年代、芸術の中心地であった、パリのモンパルナスになぞらえ、詩人・小熊秀雄によって「池袋モンパルナス」と名付けられました。
「昭和のはじめから敗戦まで、東京・池袋周辺にあった集落。みんな貧乏で、酒好きで、女好きで、喧嘩っぱやく、絵を描くことのほかは、デタラメだった。 誰もがフランスに恋い焦がれ「池袋モンパルナス」と称して酔っていた。…」
「池袋モンパルナス」宇佐美承 著 より
池袋モンパルナスから時を隔てること三十余年、1968年日本高度成長期の最盛期、この地で不動産活用を始められたオーナーはここに18住戸の賃貸集合住宅を建てました。当時はまだ稀であった3階建の鉄筋コンクリート造、螺旋階段を備えた斬新なデザインの建物でした。それからさらに五十年の時が経ち、老朽化したこの集合住宅を建て替えるにあたり、「暮らし」と「建物」に想いを寄せたオーナーは、その地に根差した「暮らし」と「建物」であるべき、、、と おそよ一世紀の時を隔て、この地にかつてあった「池袋モンパルナス」に思いを馳せました。
依頼を受けた私たちが訪れたその地には、残念ながらかつて芸術家が集った当時の面影は残っておりませんでした。地下鉄道線の複線化工事が進められ、日々建物が建てられては消えていく、そんな都心では見慣れた風景がありました。大量の「モノ」「コト」が僅かの時間で消費されてしまう現代に、この地で新たに一石を投じたいと考えたオーナーとそれに共感をした私たちが取り組んだのは、池袋モンパルナスの芸術家たちが恋い焦がれ、酔った、あのパリの小径にあるような経年と共に熟成していく、そんな建物です。 現代の情報化社会の中で、賃貸住宅は事業費と収益のバランスで定量的に評価されます。どれだけ性能が高く、かつ建設費を抑えた建物ができるか、それが不動産投資物件の設計要件となります。しかし私たちは、この現代のものさしに照らし優良と評価された建物すらもすぐに消費、償却されてしまうのを目の当たりにしています。そうなると、考えなければならないのはこの定量的なものさしそのものではないでしょうか。
定量的な評価においては表れてこないもの、不換算要素でしかないもの、そこに私たちは目を向けました。 私たちは「時間」に目を向けました。大量生産により高速で生産された物の多くは、高速で消費されています。けれど人の手により時間をかけて作られたもの、時を経て残ってきたもの、そこには人の心にほんの少しさざ波を立たせることができる何かがあるのではないか、と考えました。モンパルナスプロジェクトには、事業企画として重要な位置で計画に携わったPlanning&Designユニット”織色”が調達、アレンジメントした数多くの建築金物や建具、内装資材がちりばめられています。その一つ一つに作った人、再生した人、沢山の人々の想いが込められています。 そしてもう一つ着目したのが「空間」です。空の間、その名の通り何もないところです。賃貸面積に数字として表れてはきません。しかしこの空間には住む人の「暮らし」を豊かにすることができる力があるのではないかと考えました。建物は、暮らしという時の連なりを内包し寄り添っていきます。ふと仰ぎ見た窓から注ぐ光の筋、窓の外に揺れる緑が室内に落とす影とうつろい。建物内外にわたりこの余白としての空間を私たちが豊かと感じるままに表現しました。 暮らしの豊かさとは定量的に評価することができません。しかし、目に見えず評価できないからといって、それは価値のないものなのでしょうか。住む人が住みやすいと感じ、ずっと住んでいたいと思うことを実現することは、賃貸住宅にとってもその収支のバランスを健全に保つ、大変重要な要素ではないでしょうか。
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