近年、まちづくりと木質化の関係が見直されています。住宅だけでなく塀や柵などの外構部に木を取り入れることが、心地よい景観や人々の暮らしをつくる次世代の策になるとの考えがあるからです。そこで今回は、これからの住宅の在り方と街並みの関係について、アトリエ・ワンを共同で主宰する建築家の塚本由晴さんに伺いました。
近代の住宅形式の変化が街並みに与えた影響
建築設計のみならず、国内外のさまざまな街並みの研究をしてきた塚本さん。まちにおける住宅の在り方は、産業や社会システムの変化に大きく影響を受けてきたと言います。
「江戸の場合、資金を持つ商人たちが通りに沿って職住一体の町屋を建て外壁を漆喰で塗り込むことで防火性を担保。囲われた街区の内側にはもっと簡素な作りの長屋がつくられ、庶民は店子として住んでいました。戸建住宅は足軽屋敷みたいなのもありましたが一般的ではなかった。それが変わり始めたのが1920年代。実業家の渋沢栄一の息子の秀雄がイギリスの田園都市(※)に想をえて、田園調布の宅地開発をするのですが、その際に導入された住居の型が、近代家族のための戸建住宅のはしりでした。(塚本さん)」
「近世以来日本には、仕事と生活を一つ屋根の下に住み分け、通りに対して軒を連ねた卓越した町屋という形式がありました。しかし1950年代に車が広く一般に普及すると、駐車場をとれない町屋の評価は下がります。車の無い時代に成立した形式だから無理な注文です。幅が狭く奥深く、隣と接しているので採光は道と中庭からに限られ、室内には明暗差があり、通りから敷地奥まで続く通り土間からは冬の冷気があがってくることも低く評価されるようになり、多くが取り壊されてしまった。そうはいうものの住居形式の反復が都市形態を導くという意味で、町屋ほど洗練された形式は日本にはなかったと言えます。町屋のように反復可能な、地域や用途に固有の建築形式をタイポロジーと言うのですが、それが明確な地域では、人々は自分のまちにどんな建物がふさわしいかを自然と理解していました。
しかし東京は、もともと各地から来た人々の寄り合い社会であり、関東大震災や第二次世界大戦のような大規模な破壊を経験し、かつ近代的な建設技術の導入もいち早くなされ、産業化によって住宅の商品化が進んだ都市。人々は自分の住む通りにふさわしい形式が何か知らない。
建築が文化の領域から産業の領域に移された結果が、現在の東京の街並みです。狭い敷地なのに境界に塀を建てるのも、土地の所有権に対する意識が強いからでしょう。人々が個の消費者としての自由を獲得するのに並行して、“まち”ではなく“自分の土地”に住む感覚が強まっていったからではないでしょうか。私が子ども時代を過ごした頃の茅ヶ崎では、まだ隣家との間に植え込みや低い木の柵があるだけで、子どもは自由に動き回っていました。現在東京の住宅地には1mほどの隙間が家々の間にあり、外国人を不思議がらせますが、これも所有権を明確化する意識の表れです。こうした所有権の成り立ちを追うと、物権を私と公に仕分けした明治維新後の社会制度の近代化まで遡れます。税金徴収を中央集権的かつ透明にしようとしたためです。
かつては、どんな場所にもコモン(共有地)や入会地(いりあいち)があり、住民が共同管理し、使い方を合議制で考え、利用権は平等にあるという互助の仕組みが存在していました。しかし、現在の戸建住宅の形式には、公私を区別させる風潮や社会システム、産業構造の変化が強く作用しています。そして結果的に人々に自分の敷地内を優先させ、街並みまで気を配る余裕をなくさせていったのです。(塚本さん)」
木質化を介した、地域や風土を活かす街並みづくり
「東京はまだ戦後が続いています。本来ならば、戦後すぐに都市計画をしてコンクリートの集合住宅で街区をつくれば、火災や地震に強いまちの考え方を都市から個人の住空間にまで一気通貫に落とし込めたはず。でも敗戦後の資金も主権もない状態では、復興を個人に委ねるしか方法がない。そんな状況を経て、1951年には住宅金融公庫と組み合わせた建築士制度が生まれ、住宅の構造や耐火の質を上げる施策が行われました。
その復興の方法が今も都市の大部分を決めているわけです。面ではなく個の粒で都市をつくっていると考えたら、気が遠くなる話ですよね。(塚本さん)」
では、すでにある街並みを、新たに風土を生かした心地よいものに変えていくことはできるでしょうか。例えば木質化なら、地域材を使い、地域の建築様式を学び、地域の職人さんに、地域の手法で建ててもらう。そんな仕組みを考えることは、風土や地勢を活かしたまちを考える一助になるのではないでしょうか。
「それはありますね。使用材や職人などの連携を私は「ネットワーク」と呼んでいますが、そのネットワークをデザインして共有すれば、街並みに還元される可能性は十分にあります。20世紀は安いもの、安い労働力を求めて世界中にネットワークを広げました。そのことによって長い時間をかけて風景を形作ってきた地域固有のネットワークは見過ごされ、メンテナンスされてきませんでしたが、今後はそれらを再生するように建築や外構をつくることが重要です。そうすれば、建築様式はある程度揃っているけど各家庭の事情や背景の違いを反映して、個々には変化がある。多様性のある街並みができるはずです。(塚本さん)」
地域のネットワークを活かす事例としてアトリエ・ワンでは、東日本大震災からの復興を支援する牡鹿半島の「コア・ハウス」、地域材の流通を促進し都市住民の中山間地域へ移住を支援する福岡県八女市の「里山ながや・星野川」を設計してきました。たとえ見た目が同じでも、材や職人のネットワークの質が違うということがあり得るわけで、そういうことも建築デザインの問題になってきている、と塚本さんは力を込めます。
「街並みづくりに利する地域ネットワークは、資源の循環や流通の視点からも合理的です。日本の場合、河川を軸にした流域系です。板倉構法向けの資材を供給している「那賀川すぎ共販協同組合」も、那賀川の上流で伐採し、中流で柱梁や板に製材し、下流で合板に加工する拠点のつながりが出来上がっています。ただ、プレカット工場を前提に現場での生産効率を追求する現在の住宅産業の主流から見れば、こうした地域のネットワークは傍流です。地域材を使いたくても、効率性に向けて組織された現在の産業構造が障壁になることもある。個別の案件でそういう障壁に挑まなければなりません。
家の隣の自分の森に樹齢60年の杉林があるのにプレカット工場がいつも仕入れている北米材を使わざるを得ない。価格という障壁があるからです。このように身の回りにある資源に人々がアクセスできない不合理にどうやって対抗するのか。
私たちは2008年から千葉の栗源地域で福祉楽団というNGOのためにいくつか建物を設計してきました。まず2012年に完成した「恋する豚研究所」では地域の養豚を資源と捉え、これをハム、ソーセージ工場で加工し、豚しゃぶレストランで提供するなど、農村に都会から客を呼び込みつつ、地域の障害者が働ける環境をつくりました。次にその周囲を囲んでいたメンテナンスされていない杉林を間伐して薪炭をつくる「栗源第一薪炭供給所」が2018年に完成し、さらなる雇用を創出しました。さらに間伐によりアクセスしやすくなった森の中にキャビン型のホテルとキャンプ場を計画中です。地域資源にアクセスしやすくなることで地域が活性化する。その過程に関われるのは幸せです。(塚本さん)」
「建築で何を考え、どこを目指すのか。都市であろうと農村であろうと『身の回りの資源へのアクセシビリティを高める建築』をつくりたい。そこに関わる人は、自分で資源にアクセスできるようになります。そういう『資源的人』(「人的資源」の逆。塚本さんの造語)が増えれば、20世紀型の社会システムへの違和感も発言しやすくなるはず。今もエキサイティングなのは、暮らしの見直しだと思うのです。(塚本さん)」
新しい暮らしが生み出す街並みの可能性
近年のまちの景観課題の一つに、空洞化したニュータウンの再生があります。50年前には最先端だった戸建住宅形式を、新たな仕組みへとリブランディングしなければならない地域が増えているのです。この戸建で崩れた景観を統一する上では、どのようなアプローチがあるのでしょうか。
「戸建で崩れた景観という表現がいいかどうかはわかりません。先日東京で会ったロンドンの建築家は、東京の住宅地に感銘を受けていました。狭い道、小さな庭の樹木や花が、とても柔らかくて心地よく、建築の様式やデザインの違いはあまり問題ではないと。むしろ街路や横道の幅員やパターンに着目している。外構の木質化の可能性が見えてきます。木の塀は、コンクリート塀より印象が柔らかいし、地震などで倒壊したときの危険も少ないですから。(塚本さん)」
現代に至るまでに、まちに対する寛容さを失った功罪が風景に表れているのかもしれない。そう考えると、逆に今見えている課題をすべて認めることで、新たな考え方や視点が生まれてきそうです。
「人間以外の要素が強い存在感を示している地域の街並みは面白いですからね。例えば、丘や坂のまちは、皆が同じ課題を抱えているから工夫が生まれ、良い工夫は真似され、ダメなやり方は支持されません。そういう切磋琢磨が街並みに面白さを加えます。(塚本さん)」
かつて「越後妻有トリエンナーレ」へ参加した際、現地で見た住宅の造形が忘れられないと塚本さん。妻有は日本有数の豪雪地帯。重いベタ雪のため、春先に落ちる雪で壊されないよう庇(ひさし)をなくし、雪を落とすために屋根の頂部を尖らせるなど、その土地らしい工夫がありました。農村なのに家が道側に建ち並んでいるのは、皆で雪かきをするから。その文化を知り、気候の問題が家のかたちや街並みにつながっていると感心したのだそうです。
「大雪という課題を共有するからこそ住宅も互いに似るし、嘘がない。人間だけで決められない要素があることが、住宅には重要なのです。だから街並みを考える時は、共有できる問題を探すといい。誰かが思いついた問題に対処するいいやり方が、周りに伝わり街並みになるのが自然ですから。 土地取得の負担が大きく、建築に回す資金が少なく、敷地も狭い東京の住宅の場合は、車を手放すことも提案します。1階の道側といういい場所を、車に捧げるのはいかがなものかと。道と家の間に道庭ができますし、遊び場やカフェ、作業場もつくれる。敷地が細分化された都市部ならカーシェアという手もありますから。(塚本さん)」
冒頭に出てきた、町屋時代の道縁に住宅が建つ風景をも思わせる提案。美しかった頃の街並みを取り戻す鍵は、自分たちのまちの昔にもあるかもしれません。
「それからもう一つ。建てるなら24時間使える建物にすること。住居と仕事場が同じだと24時間使うので、単純に建物が一個減るしエネルギー効率も上がります。またネットワークの考え方は、スケールフリーです。例えば、アトリエ・ワンは社員10名と小さいですが、世界各国のプロジェクトで現地の友人と仕事することでネットワークは大きく広がっている。またプロジェクトも、背景や事物連関に価値ある物語を見出すことができれば、産業目線である規模の分類から自由になれます。(塚本さん)」
住宅や外構部の木質化は、住宅単体の問題ではないと塚本さんは教えてくれました。産業社会、消費社会が生み出した不揃いな戸建住宅による街並みの分断を考える方法は、さまざまなのです。
気候や地形など人間には抗えない要素が生み出す生活文化、地域資源の活用や循環をもとにした建築様式、そして暮らし方の更新がもたらす都心部での可能性。こうした考え方や取り組みを、これからの家や外構、そしてまちへとつなげていくことは、心地よい暮らしと街並みをつくっていくための大きなヒントになりそうです。
文 木村早苗
写真 池田礼
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