建築家と家づくり 好きに暮らそう SuMiKa
若竹ビル の シェアオフィス | coworking space in 5th Avenue (Photo:Shusaku Matsuda & Associates, Architects)ミーティングスペース(ダイニングテーブル)から、オフィススペースを見る | 若竹ビル の シェアオフィス
若竹ビル の シェアオフィス
松田周作建築設計事務所 | Shusaku Matsuda & Associates, Architects
若竹ビル の シェアオフィス | coworking space in 5th Avenue (Photo:Shusaku Matsuda & Associates, Architects)ミーティングスペース(ダイニングテーブル)から、オフィススペースを見る | 若竹ビル の シェアオフィス
キャンバスに追加する
写真を拡大する
もっと見る


若竹ビル の シェアオフィス | coworking space in 5th Avenue


若竹ビルの3DKの住居の一室を、ワンルーム空間のシェアオフィス(コワーキングスペース)として改修しました。

共用のキッチンは、ダイニングテーブルと一体として製作し、入居者や来客者とのミーティングスペースとして機能します。

オフィススペースの4つの大きなデスクは、木質ボードを天板として既製品の脚部を組み合わせて、製作しました。

住まいとしての設備・機能を備えており、将来的な大きなワンルームの住居利用も可能となっています。

開口部を増やし、明るくて、おおらかで、凛としていながらも、温かみのある空間を目指しました。

屋外スペース(テラス)からは、若竹ビルのシンボルとなっているブーゲンビリアの花を、愛でることが出来ます。

.

『若竹ビル』

 辰野片岡建築事務所が設計した大分銀行赤レンガ館(旧大分銀行本店)にはじまる、セレクトショップやカフェなどが建ち並ぶ「府内5番街」のほぼ中央に、映画館や高級メゾン、カフェや美容院等のテナントが入る「若竹ビル」は 建っています。

 明治14年(1881年)から大正9年(1920年)までの間、かつて、そこには「若宮八幡社」が 建っていました。 若宮八幡社が上野町に遷座して、跡地は若宮市場と呼ばれる商店街が形成されますが、戦災で焼失し、戦後の1948年(昭和23年)に竹をテーマにした「若竹公園」として整備されました。

 1962年(昭和37年)11月10日に大分県庁舎の本館が竣工した翌年の1963年(昭和38年)3月、若松通り(現・府内5番街)の商店街としての発展のため、若竹公園を移転して、跡地に現在の「若竹ビル」は鉄筋コンクリート造4階建(一部5階建)の店舗付集合住宅として誕生します。竣工から3年が経過した1966年(昭和41年)8月には、府内5番街の前身「若松通り商店街」の両側半蓋アーケードがオープンします。1968年(昭和43年)に「若竹公園」は、現在地に移転して開園します。

 1994年(平成6年)の故・山口隆史氏の設計による「府内5番街」としてのリニューアルオープンにより、アーケードが撤去され、その通りに最大距離を面する「若竹ビル」は、街並みに寄与する役割は、より大きくなりました。 また、同じく1994年(平成6年)、「若竹公園」は、水をテーマにした「ふないアクアパーク」と改称・リニューアルを経て、現在も大分市街地の憩いの場として人々に親しまれています。

 2015年現在、「若竹ビル」は、「府内5番街」に残る大分銀行赤レンガ館に次ぐ、最も古い建造物のひとつです。 「若竹ビル」は、「府内5番街」(旧若松通り商店街)という通りの歴史そのものであり、世代を超えて、大分に暮らす人々にとっての「街の記憶」と言えるのかもしれません。

松田周作建築設計事務所 | Shusaku Matsuda & Associates, Architectsのプロフィール写真

松田周作建築設計事務所 | Shusaku Matsuda & Associates, Architects

松田 周作

トライアル会員
トライアル会員とは
SuMiKa上で「トライアル」的に活動している会員を示します。この会員の実績を見ることはできますが相談や依頼をすることはできません。
通常営業中です
竣工年
2014
部屋数
1
家族構成
その他
構造
RC造
延床面積
50㎡〜100㎡未満
内装仕上げ
EP塗装/クロス貼り
床仕上げ
Pタイル
住設メーカー
サンワカンパニー
予算帯
300万円以上〜400万円未満
所在地
大分県
ロケーション
都市
家づくりチーム

ナカノス建設工業