実相寺|開運山 壽福殿 清心院 毘沙門堂
昨今の形式的で簡便な葬儀の在り方をはじめ、私たちの身の回りに溢れる様々な欲を満たす為の情報の氾濫などが原因となって、日常と死との距離が、以前に比べ急速に乖離しつつあるように思う.
それは、通夜を執り行うための小さな御堂のご依頼を頂いた寺院の御住職も感じられていたことで、独居老人や核家族化が増加していることも相まって、古くから続く寺院を中心とした地域のコミュニティまでもが、年々希薄になりつつある、ということだった.
計画においては、通夜を執り行う場をつくると同時に、地域コミュニティの新たな芽吹きとなるものを思考し、根源的な意味での「生と死の祈りの場」をつくることに行き着いた.
通夜の場で故人(死)と向き合うということは、故人(死)と自己(生)との記憶に向き合うということだ.するとそれは自然と自己(生)を見つめるという行為にもつながっていく.
つまり、死を通じて生へ、そして生から死へと、我々の存在(命)への思考のループが生まれていくことである.
この思考のループをつなげることで、他者や、事物、風景、記憶、そして自身を、本当の意味で慈しむことができるのではないだろうか.
その感情は、誰かと挨拶を交わすことや、誰かに手を差し伸べることなどの日常のコミュニケーションの発端へとつながっているように思う.そしてそういった日常の何気ないやりとりの先に、新たなコミュニティが生成されていくのだと考えた.
このように、根源的な意味での「生と死の祈りの場」を思い巡らせながら、建築家、家具作家、金物作家、造園家、その他多くの職人達、そしてクライアントである宗教家と協働することで、生と死に向き合うことのできる静謐な空間を目指した.
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仏教上、八角形という形は宇宙全体や世界の中心を意味するといわれている.その八角形の骨格を四角形のボリュームの中に内包させ、故人と自己が向かい合うための謂わば世界の中心をつくろうと試みた.
八角形を成す放射状の壁(耐力壁)が空間の中心を規定しながら御堂全体を支え、また余白の壁(雑壁)に囲われた残余空間には機能的に必要な諸室を配した.
素材は、仏教的な意味を纏った栗材、光を豊かに導く砂漆喰の天井と壁、視覚的な重量感を持った磚を張った床など、感覚に作用する力を持った、自然に近い素材を効果的に採用することで、中庸で静かな背景となるよう努めた.
空間の中央に置かれた安置台に故人が横たわり、それを囲むように近しい人々が椅子に腰掛け、故人との最後に思いを馳せる….
その状態のあるべき感覚や空間の姿を意識しながら、放射状の壁とそれらをつなぐ梁型、レイヤー状に光を制御する開口部、水平垂直方向の寸法体系の統合や、空間の重心を整えることで、「他者の死と自己の生」へと向き合うための、静謐な秩序を空間に纏わせることを目指した.
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毘沙門堂と、境内を形づくる本堂.
それら「生と死の祈りの場」を中心としながら、それぞれの余白である軒下の陰翳の豊かさや、境内をひとつにつなぐように計画した庭などが、周辺環境やそこで暮らす人々を柔らかく受け入れはじめている.
生と死を孕んだ空間の狭間を、生き生きと駆け抜ける子供達.
庭の草木を眺めながら散歩をするお年寄り.出会えば自然と挨拶を交わす.そこに小さなコミュニティの芽吹きを感じる.
それぞれの抱える「生と死」にそっと手を合わせ静かに向かい合うことと同時に、それを取り巻く環境や日常の営みが、より豊かなものとなって繋がっていくこと.
そしてその先に、この世界を平静な視点で見定めることのできる確かな指標が生まれてくることを願っている.
所在地 |静岡県静岡市清水区
主要用途|御堂
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