かつての日本の漁村集落は、海・港との関係において、明らかな構造的特性を備えていた。そこでは、ムラおよびイエが海の神や海の幸を迎かえ入れやすい形で形成されていてた。それは様々な機能的な説明よりもむしろ『来訪神空間』(幸を迎かえ入れる空間)としての特質として、農村における『産土神空間』(幸を生み出す神の空間)と比較し、理解されるべきものと考えられている。
三角町は現在、住宅地と海(港)との間に、鉄道と主要幹線道路が横切り、さらに本敷地を含む埋立地の開発によって、次第に生活の場から港と海は遠のいて行ってしまっている(物理的・心理的に)。
生活基盤(住宅地、市街地)と生産基盤(港湾地区)の遊離した整備が、かつての漁村集落の空間形成において重要な役割を果たしてきた仕組との矛盾を増大させている現在、共同空間としての漁港空間、または共同体としての集落空間を原点として、それらを一体のものとして総合的に見直し、計画整備することで、新たな仕組をつくる必要がある。
そこで、本計画では、遠のいてしまったマチへと密接につながる機能を付加することで、海との距離を縮め、港と日常生活とを結び付け、それによって本来港が備えていた生活空間・空間価値としての役割を再び取り戻すことを試みている。
海側には、敷地一杯に広げられたゲート状の大屋根が配置され、海からやってくる神、幸、富を迎かえ入れる「神への門構え」となる。(かつて「御門」と表記してミスミと読んでいたことともイメージが重なる。)地面の隆起したデッキが、背後の山々の稜線と重なる屋根へと結ばれ、その先の山手に連なる住宅地へと意識を繋げている。門によって迎かえ入れられた風には、鉄道・幹線道を飛び超えてマチへの方向性が与えられ、さらにはマチと港を見下ろす天翔台へと導かれる。
資料請求にあたっての注意事項