「暮らしのものさし」では、ただ消費者として暮らしを営むのではなく、自分の暮らしをデザインする、“暮らしのつくり手”たちを紹介しています。※この特集は、SuMiKaとgreenz.jpが共につくっています。
こんにちは。フリーランスのルポライター・新井由己です。
瀬戸内の島々を舞台に国内外のアーティストが参加して賑わう「瀬戸内国際芸術祭」は、2010年から3年おきに開催され、昨年で3度目を迎えました。風景や民家とコラボしたアート作品が各島内に点在し、島めぐりを楽しむ人が増え、この芸術祭を見るために海外から訪れる人もいるようです。
最近、この芸術祭の舞台のひとつでもある「男木島」へ移住する人が増えています。男木島は、高松港からフェリーで40分ほどの距離にあり、112世帯・175人(2017年3月現在)が暮らす、周囲約5kmの小さな島。港の近くの斜面に集落が形成され、狭い路地の坂道や階段が迷路のように続いています。自動車が走れる道路は海岸沿いの一部に限られており、島民の移動は徒歩が中心です。
かつて島民たちは、段々畑で、小麦、カボチャ、サツマイモ、落花生などをつくっていました。水源がないため田んぼはなく、牛を飼育して春秋の農繁期に「借耕牛(かりこうし)」として高松方面に貸し出し、その対価にお米を得ていたようです。
男木島も各地の田舎と同じように人口が減少して過疎化が進んでいますが、2014年からの移住者は15世帯・39名にのぼり、島の人口の2割以上が移住者になりました。子ども連れで移住した家族も数世帯あり、小中学校や幼稚園が復活して、子どもの声が島に響いています。
その背景に何があるのか知りたくて、男木島に足を運んでみることにしました。
移住するために小中学校と保育所の復活を要望
2011年春、卒業生3名を送り出して男木中学校は休校しました。ところが、2013年秋に、未就学児から中学一年生までの子ども11人のいる4世帯が男木島への移住を考え始め、高松市立男木小中学校の再開を求める署名活動が始まりました。881名の署名と学校再開の要望書が提出され、翌年から小中学校が再開されることが決定。6年ぶりに、小学校に4人、中学校に2人が通うことになったのです。
そして2016年には、小中学校の新校舎が完成し、校舎の一部を利用して保育所も14年ぶりに復活。1歳から5歳までの4人が入所しました。
再開の活動の中心となったのは、男木島出身の福井大和さん。福井さんは、大阪でIT関係の会社を経営しており、瀬戸内国際芸術祭をきっかけに、故郷に戻ることを考え始めたそうです。
2013年の夏、2回目の瀬戸内国際芸術祭の手伝いをするために、ひさしぶりに男木島に長期滞在しました。平均年齢は70歳以上になり、島の産業も衰退して、子どもがいない現状に、あらためて危機感を覚えました。島に残っている知り合いによると、学校を再開するには教育委員会に半年前には届けを出す必要があり、やるなら今しかないと思いました。(福井さん)
秋に学校再開の要望書と署名を提出し、同時に私設図書館の開設に向けて動き始めます。図書館づくりの中心となったのは、ウェブデザイナーの額賀順子さん。島出身の夫・大和さんと長女とともに、自然の豊かさにひかれて2014年の春に移住しました。
最初に夫と一緒に島を訪れたのは14年くらい前だったと思います。もっと民家が少ないと思っていたらそうでもなく、フェリーも大きかったのが意外でした。私は福島出身で海のない盆地でで育ったので、毎日海が見えるのがうれしいですね。(額賀さん)
移住前から「島が好き ・本が好き・文化が好き」と言っていた順子さんは、仲間たち約10名に呼びかけて、図書館の開設を提案します。
元々、島内のコミュニティーセンターに図書室はあったんですが、蔵書は約700冊しかなく、大きな図書館がある高松市街に行くには、フェリーで約40分かかります。男木島には独り暮らしの高齢者も多く、気楽に足を運べ、年代を問わず交流できる場所がほしかったんです。(額賀さん)
男木島図書館のオープンに向けて
2014年の春にUターンした福井さん一家は、隣の廃屋が気になっていました。屋根にも穴が開き、今にも崩れそうな状態で、ハチの巣ができているのも気になりました。また、島内の空き家はイノシシの隠れ場所になりやすいため、その廃屋をなんとかして、図書館にできないかと考え始めました
35年間空き家だった古民家(木造2階、約100平方メートル)の所有者が協力してくれ、手続きにかかる費用や改修費などを私たちが負担する形で譲ってもらい、2015年4月、家族や島民で改修を始めました。(額賀さん)
その少し前には、NPO法人男木島図書館を設立。島で「オンバ」と呼んでいる手押し車を改造して、80冊を積み込んだ“移動図書館”をスタート。週に一度、島の交流館や神社を周って、島民の方々に声をかけながら、図書館の宣伝を兼ねて本の貸し出しを始めたそうです。
移動図書館をしながら島民のみなさんに、置いてほしい本があるか聞いてみたところ、もう長いこと本を読んでないからわからないという声が多かったんです。でも、しだいに「何かおもしろい本はある?』とか「シイタケ栽培の本はない?』とか「漁師だから『老人と海』を読んでみようかな』と、本を求める声へと変化していきました。(額賀さん)
夏になり、足場を設置して本格的な改修作業が始まりました。床を張り替えて柱を補修する様子をホームページで紹介すると、活動に共感した人が全国から集まってきました。さらにクラウドファンディングという資金調達の仕組みをつかって、改修費用のほかに、書籍や本棚を購入するためのサポーターを募ったら、205名が賛同してくれて、目標の150万円を超える金額が集まりました。
その昔、男木島には「公力(こうりき)」と呼ばれる助け合いがあり、誰かが新しく家を建てるときには島民みんなで木材をかついで運んでいたそうです。それと同じことが、図書館の改修を通してできたのがうれしいですね。(額賀さん)
2016年2月14日、男木島図書館が開館。本棚には、順子さんの蔵書約2500冊のほか、寄贈されたり寄付で購入したりした約1000冊が加わり、約3500冊が並びます。人気作家の小説やミステリー、写真集のほか、子どもが楽しめる絵本や児童書も充実しています。
男木島図書館の改修の様子は、以下でご覧になれます。
真夏の図書館大改修ダイジェスト〈前編〉 | 男木島図書館|Ogijima Library
真夏の図書館大改修ダイジェスト〈後編〉 | 男木島図書館|Ogijima Library
年末年始大改修ダイジェスト〈前編〉 | 男木島図書館|Ogijima Library
年末年始大改修ダイジェスト〈後編〉 | 男木島図書館|Ogijima Library
男木島図書館をつくった思い
額賀さんが、島に移住してきた時から図書館をやりたいと思っていたのはなぜでしょうか? 図書館は「ただ本がある場所」ではなく、人と本をつなぎ、人と人をつなぎ、島に流れる文化を保存する場所であり、心を継承する場所でもある、と言います。
私自身、幼少期に読んだ本で視野が広がったこともあり、島で育つ子どもたちにも同じような体験をしてほしいと思いました。幼稚園のころから本が好きになって、親によく図書館に連れていってもらいました。会員になると週に5冊まで借りられるんですが、それでは足りなくて、両親のカードを使って15冊も借りてたんです。(額賀さん)
さまざまなジャンルの本に触れることで、多様な考え方があることを知り、世界の広さを実感して、たくさんの知識を得たことで、何かをするときに無理だと思わないようになったそうです。
なかでも新井素子さんの小説は、視点を変えて物語を見ることに気づかされました。なかでも『星へ行く船』シリーズが好きで、主人公の成長を一緒に味わうようにいろいろな視点があることを教わりました。
ドイツの児童文学作家・ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』は、小学4年生のときに初めて徹夜して読んだ本です。布団をかぶって懐中電灯の明かりで読みました。
それから中学生のときに、自宅の本棚にあった太宰治の『人間失格』を手にしたら、母に「それはまだ早い」と言われたんです。高校生になってようやく読んで、年齢に応じた本があることも知りました。(額賀さん)
その後、大阪芸術大学に進学した額賀さんは、本だけではなく文化も大事にすることに意識を向け、ギャラリー巡りをしたり、写真集やアート系の本にも目を通すようになります。
男木島図書館は移住者のサポートもする
2014年から数えて、男木島にUターン・Iターンで移住した人たちは約40名にのぼります。図書館のオープン後は、移住相談をカウンターで受け付けるなど、移住希望者のサポートを行なっています。瀬戸内国際芸術祭で島に来たり、テレビや雑誌で図書館のことを知って訪ねてくる人が増えているそうです。
移住してきた人たちの職業はさまざまで、もともと持っていた仕事を島でもできる人、島にある職業に就く人がいます。そして島であらたに起業する場合、どこで始めるのかが問題になります。空き家はたくさんありますが、改修が必要なことが多く、実際に起業するまでに時間もかかってしまいます。
そこで、移住者支援を行ない、図書館建設も主導していたNPO法人男木島生活研究所さんに、移住してきてからのお仕事支援、居場所支援として、図書館をもっと活かせたらと相談してつくることになったのが、昨年秋にオープンした「老人と海」なんです。(額賀さん)
レンガを敷き詰めた庭先に小さなカウンターの小屋があり、そこで飲み物やパンなどが売られていました。お店を任されているのは「ダモンテ商会」の二人。昨年夏に初めて島を訪れ、図書館があることに魅せられて、1週間後に再訪。移住先を探していたこともあり、すぐに家を探して移り住んだようです。
とはいっても、自宅の改修のほかに、店舗をオープンするのはなかなか大変です。そんなときに、男木島図書館でレンタルスペースができると聞いて、タイミングよくそこで営業できるようになったことを喜んでいました。
実は、NPO法人男木島生活研究所は、額賀さんの夫・福井大和さんが運営しています。福井さんは移住後に自治会長を任されていることもあり、島の人の思いを肌で感じながら、島内の空き家状況にも詳しい人です。
若い移住者が入った地域が元気になって、島の人たちも安心感が出てきました。空き家を壊すのにもお金がかかるので、無償譲渡してもいいという物件も出てきました。水道が来ていない物件もありますし、風呂・トイレなど水回りをつくり直さないといけない物件も多いのが難点です。
それでも、年に1〜2軒は改修して住めるようにしたいと思っています。20年後には、移住者が100人くらいになるように考えています。(福井さん)
現在、月に1件ほどのペースで移住相談があるそう。10組くらいが島に来て、そのうち2組が移住するようです。空き家の改修も、工務店に頼むとお金がかかるので、自分たちで直すケースがほとんどとのこと。
男木島は狭い路地で車が入らないので、ゴミを運び出すのも、資材を運び込むのも、人力でやるしかありません。そんなときに移住者どうしの「公力」が頼りになってくるし、そのネットワークもできつつあります。
オープンな島の人間性
男木島図書館がオープンして、1年が過ぎました。本を貸し出す量も増えているし、ふらっと立ち寄ってくれる場所としても機能していると思います。普通にカフェとして利用してくれる人もいるし、放課後に子どもたちも集まってくるようになりました。芸術祭が終わって寂しくなったからと、図書館に足を運んでくれる人もいます。(額賀さん)
最終的には、蔵書1万冊を目指しているそうです。そのことをある図書館の司書の方に話したら、重さが4トンになると教えられました。そのため、すべてを開架するのではなく、書庫に保管して、ときどき入れ替える方法も考えているそうです。今は、図書館の裏側に倉庫を建てる計画を立てています。
一方、NPO法人男木島生活研究所の福井さんは、図書館を入口にして移住者が増えていくことを期待しています。島の空き家も、「使わないなら移住者に譲れば」というように、少しずつ意識も変化してきました。
そのためにも、島の人ががっかりしないように、定着率が大事です。今後、男木島に会社の支社をつくったり、イノシシ対策や空き家再生など、生活に根ざした部分の発信にNPOとしてももっと力を入れていこうと思っています。瀬戸内国際芸術祭に代わって島に来る理由となるような何かを、これから考えていかないといけないですね。(福井さん)
男木島の最盛期には、180世帯・1200人が暮らしていたそうです。それが40年前には半分になり、10年前には200人まで減ってしまいました。けれども、3年間で40人近くが移住し、保育所・小学校・中学校が復活したのは、子育て世代にとっても移住のハードルが下がったはずです。
フェリーから男木島の集落を眺めていると、広島県尾道市の斜面に広がる町並みを思い出します。尾道でも空き家の再生プロジェクトが盛んで、車が入らない狭い路地を移住者たちが協力して物資を運んでいます。その不便さと相反する魅力は、まさに男木島の環境とそっくりに見えました。
今後、男木島の空き家がどう再生されていくのか、図書館に集まる人たちがどういう暮らしをつくっていくのか、これからも注目したいと思います。あなたも、そんな男木島に足を運んで「島の未来」に向かう風を感じてみませんか?
1965年、神奈川県生まれ。住所不定、多職のフォトグラファー&ライター。自分が知りたいことではなく、相手が話したいことを引き出す聞書人(キキガキスト)でもあり、同じものを広範囲に食べ歩き、 その違いから地域の文化を考察する比較食文化研究家でもある。1996年から日本の「おでん」を研究し、『とことんおでん紀行』をはじめ、おでんに関する著書多数。近著に『畑から宇宙が見える 川口由一と自然農の世界』(宝島社新書)がある。
また、楽健法の足踏みマッサージや大工仕事もこなし、オフグリッド移動オフィス「ザリガリ号」で旅するように仕事をしている。2017年春からは、自分が持っているスキルを無償で提供し、ダーナ(寄付)で暮らしをまかなう「アクティブ・ホームレス」として活動をスタート。現在、新たな住居となるトラックハウスを製作中。
http://www.yu-min.jp
※この記事はgreenzに2017年3月30日に掲載されたものを転載しています。