新潟では砂丘と潟を散見する。少し紐解くと嘗て2万年という歴史のなかで、新潟は山北から角田に至る間、海、河川、潟、湿原、これらの相互関係と同時に砂丘が多々形成された。江南区には新砂丘ⅠⅡⅢの内、最も古いⅠに属する砂丘が存在する。古来から砂丘は安定地盤であり、水から逃れる上で格好の集住地帯としての歴史をもつ。敷地はその一農村地域の「砂丘都市」に位置する。砂丘都市は非常に興味深く、学校、役場、市場、病院、小さな商店郡、建設業、農家さん、墓地・・・砂丘の尾根上に、極めて細長いミニマムな都市が形成されている。
農村地らしく敷地は広大だ。6mの高台に位置し、基礎の構成からさらに1mを足すとフロアレベルは7mになる。賞翫する先は新潟市の中心部と佐渡島まで及ぶ。高台らしくいつまでも沈まぬ太陽を想像する。眼前には大きな欅の木を含む、小さな森がつがいの雉(キジ)とともに鬱蒼と茂っている。佐渡と森を拝む平らな建築が始点であった。北側の日本海側の空は、夕日とともに金色から虹色に変幻し、月が昇ると夕闇の中、どこまでも澄んだ一瞬の青色を堪能する。建物の北側は建具による開放可能な空間で、自然の恩恵を受け解き放たれた空間である。正反対に南側は壁として扱う閉鎖空間である。しかし南壁を穿つホソナガのスリットは敢えて透明とし、内と外は大胆に交わる。南の抽象度は高くなっているが、生活者の一瞬の躍動を感じ、歩行者の思いに耽った徒歩や散歩を眺めることが可能である。スリットの高さは10センチとしている。
砂丘の上に建つ尊さを五感で読み取るという、ありのままを建築化するということ、抽象という衣を纏いつつも「砂丘都市」に交わる生活を建築化するということ。その二つの営みが生活空間に及んでいる。
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