1.『鋳物屋敷』の“記憶”
この住宅の敷地は『鋳物屋敷』という珍しい小字名を持ちます。調べて見ると、この地の土壌には砂鉄成分が多く、室町末期から戦国時代にかけて岩槻城主の太田氏に仕え、武具や生活鉄器を供給した“渋江鋳物師”の集落があったこと、当時の鋳物師たちは屋敷を構える程に隆盛を極めたこと、江戸開府後は地の利が良い川口市付近に移住して現在の鋳物産業の礎を築いた説があることなどが分かりました。現在、この痕跡は敷地に隣接する雑木林沿いの小さな石碑『渋江鋳金遺跡』と案内板で偲ぶ事ができます。
一方、集落に堀を巡らせた当時の地形は公園化され、敷地周辺も地縁者だけが住める市街化調整区域として保全されていますが、近隣では巨大ショッピングセンターが建設されて市街地化も進んでいます。
2.消える“ベッドタウン”の史跡
ベッドタウンの宅地開発は地域の景観を大きく変えます。一度開発された宅地は居住者と共に高齢化し、子世代が戻らないまま空き家が増えて、また新しい場所が開発されます。住み手を親から子に世代交代させるには、幼少期からの[地域アイデンティティ]教育が必要と考えられますが、開発が進行する中で地域に残る小さな史跡が損なわれ、目立たない石碑や案内板にまとめられてしまえば、それも難しい状況です。
せめて地縁者のみが居住する本敷地のような場所に建てる住宅では地域の成り立ちを想起させる建築的“記憶”を組み込むことが社会的責務ではないか?というのがクライアントと共通の認識でした。
3.場所の“記憶”を採取する設計試行の実践
以上を踏まえ、地域調査を通して『鋳物屋敷』の“記憶”を採取する調査を開始しました。調査区域は岩槻駅市街と岩槻城址を経て『鋳物屋敷』に至る“府内”エリア、関連する川口市の鋳物工場エリアを中心に建築とつながる①言葉、②形、③技術・素材、そして④形式を採取する作業を試みました。
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