「越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」など、地域の特色を生かしたアートイベントが増えていますが、足を運んだことがある方も多いのでは?
今回ご紹介する「風と土の交藝」も、その一つ。手仕事、自然、暮らし、ここにある生き方を巡る催しです。滋賀県は高島市を舞台に、この地を拠点とする作家さんによる作品だけではなく、工房や住まいといった暮らし方を見ることができます。そのねらいは、高島に関心を持つ人や移住者を増やすこと。
「風と土の交藝」に立ち上げから深く携わり、高島で移住交流の支援を行う「結びめ」の西川唱子さん、同じ「結びめ」メンバーでもあり、「たかしま市民恊働交流センター」の原田将さん、そしてそんな二人をサポートし続けてきた、市内で観光関係の仕事に携わる坂井田智宏さんの三人に、「風と土の交藝」という印象的な名前を持つこの催しと、その背景にある思いについて、お話をうかがいました。
“暮らし”をめぐる、オープンアトリエ型の催し
「風と土の交藝」は、今年で3年目をむかえます。高島市各地の工房や住まいを開放し、作品や農作物を見ながらまちを回ります。
高島市は、かつて福井から京都まで鯖を運んだ「鯖街道」も通った、人の往来の多い地域。京都も近いので、文化的にも豊かで歴史あるエリアです。また、森も里も湖も、環境が揃っているので、“理想の田舎暮らし”として思い描く場所がおおよそ揃っています。
ただ、そんな高島市にも、過疎化・高齢化の波が寄せています。そうした課題のある地域で「にぎわうことをしたい」という思いが、この催しの背景にあったようです。
西川さん 「ここで楽しく豊かな暮らしをしている」というところを見せることができたら、ここに来たいと思ってくれる人も増えるんじゃないか。さらに、直接作家さんに話を聞くことができる。会場が散在しているから自然風景を見ながら回ってもらえる。「風と土の交藝」がオープンアトリエになっているのは、そういう理由です。
原田さん もともとこの地域にはものづくりを行う作家が多く、「風と土の交藝」の発起に関わる作家たちの一部は、仲間を募って12名で「あけっぴろげ」というオープンアトリエイベントを行っていました。その活動は13年になりますが、新緑の季節に作家と交流できる場として、毎年たくさんのお客さんで賑わいます。
さらに、古民家再生や環境にやさしい農業を志している方や若い移住者たちを巻き込んで、大きく高島を知ってもらうイベントへと発展したのが「風と土の交藝」です。
こうした思いが、舞台を高島市全域に広げ、作品と同時に暮らしも見てもらうアートイベントの提案へとつながっていきます。この地を訪れる”風の人”と、この地域に暮らす”土の人”。このふたつがうまく”交わる”機会をつくろう。こうした思いを表わす、「風と土の交藝」と名づけられた、地域を巡るオープンアトリエが立ち上がりました。
しかし、一年目は反対の声が多かったと西川さんは言います。
発起人のひとりでもある立石善規さんという作家さんは可能性を感じてくれていましたが、「そんな大きなことできるわけがない!」「事故でもあったらどうするんだ!」という意見が大半でした。
それでも、これまでの入場者は、のべ来場者数で各回3000〜5000人ほど。
新しい出会いがたくさんあり、作家さんに喜んでいただいています。高島市が作家にとって生きていけるところであるためには、作家に新しいお客さんが着いてくれるのは大切なことです。
アンケートをとると、来場者の多くの方がこのイベントに魅力を感じ、「続けていってほしい」という声が上がるようです。「課題は資金確保、人材」と西川さんは端的に話されます。
人材という意味では、このイベントは毎回、たくさんのサポートスタッフに支えられていて、この催しになくてはならない存在です。彼らはもしかしたら定住して高島市の交流人口を増やしてくれるかもしれない。可能性に満ちた人々でもあります。
「この地域だからこそできる暮らし」を実践する
出展者には作家さんもいれば、農家さんや漁師もいます。
ここで少しご紹介しましょう。
先ほども話に出た立石さんご夫妻は、このイベントの立ち上げから関わります。善規さんは陶芸、啓子さんは染色。「作品もステキですが、純粋で暖かくて、楽しいことが大好きなお人柄が、その暮らしや周りの人々も幸せにするような、ご夫婦です」と西川さん。30歳頃に二人は移住。仲間と三人で古民家を改修された魅力的なお宅を見ることができます。
もちろん、出展作家さんはベテランの方ばかりではありません。
奥島圭二さんという若いガラス作家さんがいます。去年は東京で行われたご自身の展覧会と重なってしまって出られなかったのですが、彼はとてもアツい。去年も「自分は出展できないけど関わる!」ってずっと会議に出てくれていたんです。
奥島さんはもともと高島の方で、Uターンでこちらに帰ってきました。小さなガレージを工房兼住まいにして同じくガラス作家である奥さんとふたりで住んでいるそう。一階は工房、二階が住居で、ベッドルーム兼リビング兼キッチンが展示会場になるのだとか。
一方、移住を期に活動をはじめた作家さんも。その一人が、広島から越してきた写真家のオザキマサキさん。自分が暮らしている山里の小さなコミュニティの日常を撮影されていて、「お世話になっている地域の人たちを家に招いて、一緒に写真を見たり、お礼を伝えたい」ということを大切に考えています。
坂井田 自分の位置が定まっている人たちが多いんですよね。自分の暮らしができあがっていて、スタイルが安定している。だからこそ作品に向かえるのでしょう。いろんな人がいろいろな住まいの選び方をされている、そういうところも見所です。
原田 この取り組みの面白いところは、いわゆる「この地域だからこそできる暮らし」を実践している方たちばかり、というところです。世の中にはサラリーマンとして働いて、給料をもらうという生き方しか選択肢がない、と思っている人も多い中で、そうじゃない生き方で生きていけることを実証してくれている人たちがいる。それを来訪者に伝えられるところも面白いなと思っています。
「人口が減っても楽しく生きていく方法はあるはず」
そう話す原田さん自身も、阪神淡路大震災を機に自分の生き方を見直したと言います。 さまざまな試行錯誤の末、美味しいものを当たり前に食べるために、まず美味しい水がいつも飲める環境に身を置こうと決断。多くのつながりのなかで、「結びめ」の活動に出会います。「このイベントに参加する人たちは暮らしや環境のことを意識されている方も多く、波長が合うというか、会話に無理がない」と原田さんは語ります。
自分の暮らしの延長上に、自分のできることをしていきたい。「風と土の交藝」に関わることで、ちょっとでも持続可能な未来を子どもたちに残したい。自然環境を残しておきたいし、実際に残っている高島に可能性を感じます。
そんな原田さんと初回から二人三脚で「風と土の交藝」を進めてきた西川さんは、もともと美術の分野に興味があり、自身がアートイベントに関われるなんてこんな楽しいことはない。そんな思いで「風と土の交藝」の企画運営に携わります。
大切なのは、ここに住んでいる人たちが日々小さな幸せを感じながら生きていくことだと思ったんです。若い人が減っている集落のおじいちゃんやおばあちゃんの中には「ここはもう終わりや」っていう方もいます。でも人口が減っても楽しく生きていく方法はあるはず。高島市もそういう人が増えてほしいんです。
そんな二人をサポートする坂井田さんは、市内観光業で働く以前、名古屋で体育教室などの運営をしていました。東京のNPOが行う地域活性化事業に隊員として参加し、岐阜県飛騨市へ派遣されていました。派遣期間終了後に、同期で高島市朽木に派遣されていた今の奥さんとともに、ここで暮らすようになりました。現職の活動を通して「風と土の交藝」に出会います。
最近「誇りの希薄化」ということが言われていますが、例えば僕の子どもに「風と土の交藝」などを通して、地域の良さを感じてもらうことで「こんなすごいことをしているんだ」と、自分たちが暮らしてきた地域に誇りを持ってもらえるんじゃないかって思うんです。
「これまであまり触れたことのない人や場所」と出会うきっかけ
では実際のところ、「風と土の交藝」が行われていることで、高島市にどんな影響があるのでしょう?
坂井田 まず、人にしても地域にしても「これまであまり触れたことのない人や場所」と出会えるようになりました。これが大規模に実現できたのがよかったと思います。このイベントのために滋賀に来た人たちがイベントの時以外にもこっちにきて、農業体験や遊びが生まれているんです。
西川 統計は取っていないんですが、これがきっかけで移住に結びついたり、高島に興味を持ったりという人がいることも大切です。「都市部にも発信できる素晴らしい素材だ!」という思いがあります
観光業界の人たちをはじめ、企業協賛を行う市内の社長さんにも徐々に評価され、信頼されてきた「風と土の交藝」。これからは一般の人たちへの浸透をいかに広げていくかが課題だと言います。
西川 行政からの評価も、かつては否定的であったものが徐々に高くなっています。応援してくれる自治体職員の方も増えてきましたし、総務省も移住交流の観点から取材してくれました。
原田 「風と土の交藝」は本当に市民発の企画で、しかもいろんな主体が協働している。協働をどんどん進めていきたい行政としても、これだけ多様な主体が協力・連携していることを評価してくださっているのだと思います。
「全体からにじみ出てくる何ものか」を見せる
最後に、ぜひ紹介したい一文がある、と西川さん。出展作家である前川俊一さんの「風と土の交藝」評です。
「これは美術工芸展でも高島物産展でもなく、お祭り的なものでもなく、会場はそれぞれが住む地域の風景、集落にある自宅。展示物は家、庭、住むスタイル、制作されたもの、栽培されたもの、その家に住む人と暮らし、そしてそのような全体からにじみ出てくる何ものかである。
主体は参加者一人一人であり、中心というものはなく、テーマや発展という言葉とは異なった場にある様に思われる。それは、この催しが、人が暮らしを継続するという事の上に成り立っている様に思えるからだ」。
作品だけでも、暮らしだけでもなく、「全体からにじみ出てくる何ものか」。何かひとつに絞り込むことのできない、あくまでも”何ものか”としか言いようのないものを見せよう。みなさんは、この言葉がとても印象に残っていると話します。その言葉が伝えようとする風景を、ぜひみなさんも、移住する、しないに関わらず、一度目にしてみてはいかがでしょうか。
(Photo:風と土の交藝プロジェクトチーム)