選んだのは築約50年のどっしりとした一軒家
神奈川県鎌倉市。古都と呼ばれるこの街の小さな山の裾野に、大坪さん一家が暮らす家がある。大坪正佳さん、文恵さん、ネネちゃんの3人家族。もともとは東京に家を借りていたが、正佳さんと、文恵さんの実家がそれぞれ神奈川県にあるし、娘のネネちゃんもそろそろ小学生になるから、という理由から、鎌倉に越してくることにしたのだそう。「家を借りながらいろいろなところを点々としていました。もっと気持ちのいい環境で家をつくりたいなと考えていました」(文恵さん)。
450平米の敷地(裏山込み)の広い敷地に建つ一軒家は、奥ゆかしさを感じさせながらも、堂々としていて貫禄がある。なんと1967年に建てられたものであるらしく、この風格はおそらく、そんな時間の流れのなかで育まれていったものだと思われる。また、もともとは芥川賞を受賞した小説家が住居兼書斎としていたそうで、そのあたりも趣につながっているのかもしれない。「私たちがここに越してきたのは、いまから5年前。リノベーション向きの建物だと思いました。昔ながらの家なので、ちょっと使い勝手がよくなかったり、あまりにも古くなりすぎているところがあったり、でも古い物を直して住んだら面白そうだな」と、文恵さん。「手を入れられないなら、たぶんここで暮らそうとは思わなかったかな(笑)」。
みんなが気づいていない古家の魅力
古家を選んだ理由のひとつには、家を持つときに、あまり予算がかからないから。土地代はかかるけれど建物代はタダ同然。だったら、そこに手をいれながら暮らした方がよいのではないかと思ったのだという。「建築関係の仕事をしているから、古家がタダ同然になっているのを見ると、ちょっとさみしい気持ちになるんですよね。昔の建物のほうが、いまの建物よりもよい場合もあります。材料もいいものを使っているし、使いこんでいるからこその味わいもある。まだ十分住まいとして活用できるのに、もったいないって思います」(正佳さん)。
この場所で暮らそうと決めたとき、まずは奥の部屋をリノベーションした。ふたつの部屋を分ける仕切りを取り払い、廊下との仕切りもつぶして空間を広く。さらに床板を入れ変えてみたら、空間がパーッと明るくなった。
奥の部屋のリノベーションが終わったときの様子を、ニコニコと話す文恵さん。「実は部屋は天井があったのですが、古いものだったから大工さんがよかれと思って外してしまったんです。最初それを聞いた時は“えっ!?”と思ったのですが、現場を見てみるとさらに空間が広くなっていて。むき出しになった梁もいい雰囲気だったので取ってもらって正解だったなって。そこで隠れていた部分の壁にベニヤ板を張り綺麗に塗り仕上げました。そんな偶然も手伝って、みんなでご飯を食べたり、ソファーでくつろいだりする快適な空間になりました」
気持ちよさを求める心に、素直に向き合って暮らす
奥の部屋のほかに水まわりにも手を入れた。台所やお風呂場といった空間のアイデアは文恵さんによるもの。正佳さんは主に全体のイメージを担当して、細かいところを文恵さんが詰めていく。そんなふうにしてデザインは固めていったようだ。「やっぱり水まわりは任せたほうがいいかなって。妻のほうが僕よりもよく台所に立ちますし、こだわりもあるみたいですから」と正佳さん。家族のなかでの役割分担もうまくいっているようだ。
キッチンは業務用のキッチンを使用。システムキッチンのようにしっかり隠してしまうものではなく、風通しのよさそうな、無骨な素材感が気に入って、だそう。キッチンは、洗い場とは別に十分な広さの料理スペースを設置。効率よく、広く使えるように工夫した。また、子どもが落書きできるような黒板を目隠しにつかうなど、さりげない遊び心も空間を魅力的にしている。
お風呂場も移設して、もともとは物置スペースだった部屋に壁を建て、ユニットバスを設置。やっぱり水まわりは、あたらしいものが置けると気持ちがいい。すべてを新しくするつもりはないけれど、気持ちよく暮らしていくために妥協することはない。こんなふうに大きなリノベーションにしなくても、部屋の模様替えをするのはいつものこと。「家具の配置はいつも変えながら、ベストな位置を探していて気持ちよく感じられる暮らしをしていますね」(文恵さん)。
古いものも残しながら新しいものを加えていく
2013年は、玄関先もリノベーションをすることに。きっかけとなったのは駐車場だった。「近くに借りていた駐車場が取り壊されることになってしまって。それで新しい場所を探さなくてはいけなくなったんです。だったら、玄関まわりの建物を少し削るようなリノベーションして、駐車場をつくってはどうかと思いまして」(正佳さん)。駐車場を借りると毎月駐車場代が発生する。それを考えればリノベーションという選択肢は合理的だ。そして、またしても大坪さん一家は、大きく変えてしまうようなことはしない。
「やっぱり予算がありますから(笑)。予算の範囲内で、できることをやれたらいいなって思っています」(文恵さん)。そんなわけで、手をいれるのは玄関先だけにした。実は、玄関の横脇にあった部屋は、以前暮らしていた小説家の原稿の上がりを待つ編集者の待合室として使われていた場所。掘りごたつがあるちょっと変わった部屋だったのだが、大坪家の暮らしのなかではデッドスペースになっていた。そこで今回のリノベーションに合わせて、玄関先を少し削り取ることに。デッドスペースとなっていた部屋を広い玄関スペースに変えることで生きた空間へと再生させた。「玄関脇に大きな本棚があるのですが、これはもともとあったもの。もともとのものも残しながら、新しい空間に作り変えていくイメージですね」(正佳さん)
暮らしの変化とともに変わりゆく家
玄関先の解体や土台づくりなど、専門性の高い領域は業者に依頼しつつ、塗装や簡単な修繕は自分たちの力でやってみる。建築業に携わっているからこそ、その棲み分けができるところが大坪さん一家の強みだ。「玄関スペースの壁は、みんなで力を合わせて1日で塗ったんですよ!」(文恵さん)、「あれ? 最後のほうはオレ一人が作業してなかったっけ?」(正佳さん)、「でも、床にオイルを塗ったのは私だから」(文恵さん)。家族が一緒に住まう家を、家族みんなで手を入れる。家をつくりながら育まれていく、家族の結びつきのようなもの。大坪さん一家の様子から、そんなものが見え隠れした。
「実は2階のベランダがあんまり活用されていないんです。もう、壊してしまってもいいじゃないかなって思っています。外観もすっきりした印象になりますし(笑)」(文恵さん)。「家の裏手が山になっているんですよ。2階から山にさっと行ける通路がつくれないかなと思っていて」(正佳さん)。
賃貸ではないからこそ自分たちの暮らしたいようにリノベーションできることがうれしいと文恵さん。崖が裏手にあるため建替えにすると土木のコストもかかるけれど、リノベーションなら相場より安く済む上に、面白い家になりそうだと思った。だからこそカスタムへのフットワークは軽い。
家族のひとりひとりが成長して、関わり方が変わって、住まい方も変わっていく。それに合わせて、まるで生き物のように姿を変えていく家。ちょっと不思議な気もするけれど、とても当たり前の暮らし方が、そこにあった。
text:井上晶夫
photo:伊原正浩
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