みなさんは、「クリエイティブリユース」という言葉を聞いたことがありますか?
家庭や企業から日常的に生み出される廃材をそのまま廃棄せず、人のクリエイティビティー(創造性)を使って、これまで見たこともなかった素敵なものに生まれ変わらせる取り組みのことです。今、日本でも眠っている資源の新たな活用方法として「廃材」を見直す取り組みに注目が集まっています。
今回は、日本初の「クリエイティブリユース」の拠点「IDEA R LAB」を岡山県倉敷市にある玉島に開設した、大月ヒロ子さんのお話をお届けします。
大月ヒロコ(おおつき・ひろこ)
コミュニケーションを誘発する「遊びと学びの空間デザイン」やワークショップを絵本、ツールデザイン、ミュージアム作りなどを手がけるIDEA,INC.と、クリエイティブ・リユースの実験室&レジデンスであるIDEA R LAB(イデア アール ラボ)の代表。著書に「クリエイティブリユース 廃材と循環するモノ・コト・ヒト」(Millegraph)、「じぶんでつくろう こどものしゅげい」「コレでなにする? おどろきおえかき」(福音館書店)
地域の中で循環するモノ・コト・ヒト
大月さんが暮らしている、江戸時代からの町並を残す小さな町を訪ねたのは、フキノトウが少し顔をのぞかせて春の訪れを感じる日のことでした。
岡山県倉敷市(旧玉島市)玉島に生まれ育った大月さんは、「江戸時代から伝わる、お茶で人をもてなす”お茶文化”が根づいているのもここの魅力の一つ」と言います。今もなお、個人のお宅にはお茶室が残っているのだとか。
クリエイティブリユースの実験室兼レジデンスの拠点である「IDEA R LAB」がオープンしたのは2013年8月。地域にひらかれた実験室でもある「IDEA R LAB」には、「お腹はへっとるかね?」と声をかけながら夕食の差し入れをしてくれたり、近所のおばちゃんやおじちゃんが次々と顔を見せて挨拶をかわしています。
すると、お昼どきになって、台所から大月さんの鼻歌が聞こえてきました。美味しそうな香りが立ちこめる台所で「いま、鼻歌が出ちゃうくらいごきげんなのよ!」と大月さんは笑います。
私もおいしいものが食べたいし、みんなで食べるとおいしい。お野菜もお魚もその日必要なものだけ買って、みんなでつくってお皿を囲んで食べています。
玉島には、魚市場やお肉屋さん、和菓子屋さんなど、地元の人が商いをしながら暮らしている。私は、この町で暮らしている人たちと、ほかのところから来た人もつなげていきたいと思っているんです。
人と人が関わり合うことで、ハッピーになる広がりや驚きがあるんじゃないかなって。自分がどうのこうのじゃなくって、みんなが楽しいのが私は楽しい。だから全員がハッピーになることを探しています。
「みんなで食べるのが大好き」な理由は、「みんながすぐに仲良くなれるから!」。お庭や畑からの恵み、そしてご近所で暮らしを営む方々からのおいしいお裾分けが、「IDEA R LAB」の食卓を彩っています。
廃材に新しい命を吹き込む!クリエイティブリユースの魅力
クリエイティブリユースの魅力は、世の中で余剰なものや不要なものと思われているゴミや廃棄物が、「何ものにも代え難い価値をおびたり、コミュニティや地域をゆるやかにつなぐ潤滑油になること」だと大月さんは言います。
廃材ではなく、人が創造的な暮らしを楽しむために、なくてはならない材料として活用していく試みは世界のあちこちで、そして日本でも、さまざまに繰り広げられているのです。
生まれ育った玉島にも、かつて「端切れ屋さん」というものがありました。制服で全国シェア一位の時代もあって、裁断した後に残った布は山盛りに残っていて、売られていたの。
縫製の作業場に出入りをすればそれをもらえることもあって、それでぬいぐるみやクッションなど、暮らしの中で使うものをつくっていました。それが一般的な暮らしだったんですよね。
それが原体験となって、現在は廃材を活用したものづくりの実験をしたり、資料のアーカイブを設けたり、クリエイティブリユース活動のコミュニティづくりに取り掛かっています。
もちろん、廃棄、焼却等が必要なものは、定められたように安全に扱わねばなりませんし、資源活用のためには原材料に戻したり、二次利用や再利用の道を選ぶことも大切です。
その一方で、無駄になって捨てていたものを、笑顔でもらってくれる人がいてくれる喜びや、もらう側も物の背景にある話を聞いて「面白い」って言ってくれる意外な発見。廃材がどんなふうに変わっていくのか、毎回、そんな発見と楽しみがあります。
廃材は人の心を動かすチカラがあるんです。お金の問題じゃなく、幸せのチカラ。
廃材を通じて人がつながりはじめた玉島地域で、大月さんはさらにプロダクトをつくったり、コミュニティファームを開いたり、福祉作業所と廃材をつなぐ取り組みを仕掛けたりできたらと、さまざまな夢を描いています。
子どもサイズの茶室もつくりたいと思っているんです。お茶室の空間って、特別な関係性を築くことができる、日本ならではの空間だと思うんです。
それをきゅっと子どもサイズにすると、子どもも味わえる。子どもが自らしつらえることができるようになると、楽しそうですよね。
コミュニティづくりの原点としての学芸員時代
現在、東京と玉島を行き来している大月さんですが、東京にいた頃は主に美術館に関わる仕事をしていました。武蔵野美術大学造形学部を卒業後、東京都の板橋区立美術館で教育普及担当学芸員として採用されます。
かつては教育普及の担当者を設けること自体が珍しかったようで、「ゼロからの出発」をすることになりました。
学生時代は油絵を勉強したのですが、当時は実技系から学芸員に進むケースはなくて。学芸員の世界は、初めから美学や史学を勉強し、学芸員になることを目指してきた研究畑の人々のものと思われていたんです。だから「学芸員」という職種にはあまり興味がなかったのですが、教育普及のセクションなら面白そうと思いました。
当時は上野の科学博物館をはじめ、さまざまな公共施設が柔らかくオープンな形に生まれ変わり始めていた頃だったんです。それで美術館でも単なる展示だけでなく、子どもたちの広場のような、参加型の取り組みをできそうな予感がしていて。
どうしても美術というと敷居が高いイメージがあるけれど、それを変えていくことが重要。そこで大月さんは、美術館に来てくれる人とアーティストをつなぐような場所にしようと、さまざまな取組を始めます。
それはつくり手の気持ちと見る人の気持ち、両方を経験している大月さんならではの発想でした。
いろんな人が利用できる美術館は、ある種のサービス業だと私は思っていました。子どものお客様も楽しんでもらえるように、フェイスペイントや立体造形など、学校ではできない企画もたくさんしましたね。いつもは同じ学年で遊んでいる子たちが、全く違う年齢の知らない子とペアを組むとか。
どこかの素晴らしい”先生”を呼ぶのもいいかもしれないけれど、大学生や大学院生と企画をよく作りました。子どもたちと同じ目線になれる人と一緒に何かをすることにも意味があると思うんです。
現代美術を評論家が評論するのではなく、アーティスト本人が登場して自分自身を語る講座を開いたり、70人くらいが参加して、勢いで作品をつくりあげるようなワークショップを開催したり…
大月さんは、これまでの取り組みを振り返りながら、「こんな嬉しいことがあったんです」と続けます。
もう何十年も前のことなのに、前にワークショップに参加してくれていた子どもたちと再会して、「あのときの心臓がドキドキするような時間や、ワクワクした気持ちを今でも覚えています」と話してくれたんです。
その人はご家族で参加してくださっていて、親子だからやっぱり顔が似ていたりして。私も心の中で「あ!もしかしたら」と思っていたので嬉しかったですね。
3.11を境に、これまでの生き方を問い直した
そんな東京暮らしをしていた大月さんが、玉島に拠点をつくるきっかけとなったのが、2011年3月11日の東日本大震災でした。
「いつの日か、生まれ育った古い自宅で、今まで思い描いていた夢を実現したい」と思いつつ、改築しようにもお金がかかること。なかなか踏ん切りがつかなかったようです。
でも、3.11を境に、これまでを問い直し、これからの生き方を考えざるをえなくなったんです。これからどこに住まい、どのように働き、暮らしていけばいいのか、コミュニティの力とは何なのか。「もう何が起こるかわからない」という思いから、やるしかないと感じていました。
今、たくさんのお金を持たなくてもいい。大きな経済の動きよりも、小さな経済の中で暮らしていくのは大切だなと思っていて。私が今、紹介している「クリエイティブリユース・プロジェクト」の多数の事例や「IDEA R LAB」の活動が、皆さんが探していらっしゃるものへのささやかなヒントになれば幸いです。
「自分はこれが面白い」と思える時間を。
これからの生き方を考えるときに大切なのは、「自分が何を好きなのかを、自分でわかっているということ」だと大月さん。だからこそ未来を考えていくために、特に20代は大切な時期だと強調します。
若い人たちが未来を築けない環境を、大人がつくってしまった責任も感じているんです。子どものときから自分で選べる自由さを持てるようにしたり、何かに専念させてあげられる土壌づくりが必要なのではないでしょうか。
たて・よこ・ななめの関係性を築くのがとても苦手な人も増えているようですが、それは教育や雇用が大人にとってあまりにも都合の良い仕組みになっているからかもしれません。
一度、たこ壷に入ってしまうと、そこから抜け出すのは大変です。もしも今、都会に住んでいたとしても、そこにこだわる必要はないし、歓迎してくれる場所は日本にいっぱいあると思う。思い切って地方にも目を向けて、否応なしにその地域の人たちの人間関係にもまれてみるのもいいんじゃないかな。
「IDEA R LAB」をつくることで、生まれ育った町で新たな一歩を踏み出している大月さんも、これまでの生き方そのものを問い直し、迷いや葛藤の中で自分自身と向き合い、「今まで思い描いていた夢を実現したい」と行動したことから今に至っています。
私は、仕事はつくるものだと思います。既にあるものの中から選ぶだけじゃなくて、自分で不便だなとか、何かおかしいなとか、身の回りをよく見て、考えて、「こんなのが世の中にあったらいいんじゃないかな」という考えから出発して、取り組んでいく。今はないけれど、あると便利だろうなと思ってつくったら、それが仕事になるんだと思うんです。
私たちの仕事は、もともと地域や人、様々な関わりの中で、「自分には何ができるのか」を考えてみることから生まれています。
そのためのヒントは、身近な存在であるゴミをよく観察してその魅力に気づくのと同じように、きっといろんなところに自分の興味を引く何かが隠れているはず。みなさんも暮らすこと・働くことについて、周りの人と話してみませんか?
※この記事はgreenzに2014年7月17日に掲載されたものを転載しています。