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暮らしのものさし
2014年10月22日

「まずやってみせる。」長野にオフグリッド診療所を開業した田邉哲さんに聞く地域のこと、エネルギーのこと


「暮らしのものさし」では、ただ消費者として暮らしを営むのではなく、自分の暮らしをデザインする、“暮らしのつくり手”たちを紹介しています。※この特集は、SuMiKaとgreenzが共につくっています。


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田んぼの中にある田邉診療所

長野県佐久穂町、東京からだと長野新幹線で佐久平まで行き、そこから小海線で9つ目の羽黒下駅から徒歩数分、ちょっとした集落の中に「たなべ診療所」はあります。

隣には「まちの駅」という商業施設があり、周囲に薬局と住宅があるだけで、あとはほとんどが田んぼ。

田邉哲さんがここに診療所を開いたのは2010年。「いえつく」に設計を依頼し、いわゆる診療所とは全く異なる地域に開かれた診療所としてオープンしました。

そして、2011年の東日本大震災を経て、ソーラーパネルと蓄電システムを導入、オフグリッド診療所となったのです。

どうしてこの場所に診療所を開き、オフグリッドにすることになったのか、「いえつく」の水野義人さん、穂積雄平さんとともに診療所を訪ね、田邉さんに話を聞きました。

診療所の医者になる

実家が医院という田邉さんですが、高校生の頃は医者になるつもりはなく、「環境問題に取り組む人になりたかった」のだとか。しかし、いろいろな理由から(話が長くなるので割愛します)断念し、「生き物が好きで、中でも人間が好き」だと医者になることにします。

そして、子供の頃にかかっていた家の近くの診療所の先生が「すごく良かった」のと、「草や木の生えているところが好き」ということで、大きな病院の先生ではなく、田舎の小さな診療所の医者を志すのです。
 

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田邉哲さん

そして医学部を卒業した田邉さんは、診療所の医者になるためのトレーニングを受けることができ、「気候風土がすごく僕にあってる」と感じた佐久総合病院に就職します。

この病院は地域医療に力を入れている病院で、近隣の診療所に医師を派遣しています。田邉さんも5年間の研修を終えると、南牧村の診療所に赴きました。

午前は外来、午後は往診をして、夜は家に帰るんだけれど、何かあれば1時間かけて車で駆けつけなければいけない。そんな大変な生活だったけれど、やっぱり面白くて、診療所がやっぱり合ってたんだと確認できました。

という田邉さんはこの頃、地域医療について考えたそうで、それを「鏡餅」という例えで説明してくれました。

鏡餅の橙がプロの部分=医療を提供する技術だとすると、それを支える上のお餅が「いい人」や「頼りになる」と言った人間性、さらにその下のお餅が「地域に住んでいる」とか、「他の人と同じように色々やっている」といった「住民としての関係性」だといいます。

その3つが揃って、初めてほんとうの意味で地域で医療を展開しているというのです。

南牧村の診療所では、下半分は診療所の他の職員が担ってくれていたんです。地元の看護婦さんや役所の人が支えてくれてた。地域の診療所の医者としてやっていくには、この3つが全てできないとダメなんです。

5年ほどがたつと、病院に戻ってくるようにと何度も言われるようになり、さらには東京に戻るという話も出てきましたが、田邉さんはこの佐久で開業することを決意します。自分なりに「鏡餅」をつくり上げ、この地に根をはることを決めるのです。
  

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建ったばかりの頃のたなべ診療所

診療所らしくない診療所の誕生

開業を決意した田邉さんは診療所を建ててくれる人を紹介してもらいますが、最初はうまく行かず、次に「いえつく」の人たちを紹介されます。

田邉さんがまずこだわったのは待合室、従来の待合室の無機質な、いかにもの椅子が並んでいる空間を変えたかったのです。

いえつくのみなさんはイメージから入ってくれて、僕がやりたいことすぐわかってくれた。

僕は病院の待合室が大嫌いなんです。医療機関は提供する側の利便性や効率を追求するところがあって、それで待合室も作業効率がいいように限られた空間により、多くの患者さんを待たせることができるようになっているんだと思うけれど、具合がわるい時にあんなところにいたくない。

だから、待ってる間に具合が良くなるようなところにして欲しかった。

という田邉さんのイメージを具体化した待合室には、掘り座敷と薪ストーブとマッサージチェアがあり、窓からは田んぼや地元で有名な宿岩という岩が見えます。お茶や雑誌、子供の遊び道具も用意されていて、本当に居心地がいい空間なのです。

いえつくの穂積さんも「医療的に崩せない動線っていうのがあって、それを崩すインセンティブがない中で、ちょっと違う角度からお話していただけたんでやりやすかった」と言うように、自分やスタッフや患者さんが気持ち良い空間をつくろうとしたら、結果的にこれまでの常識を覆すものができてしまったというスタンスなのです。

結果、「食事処や温泉だと思ってくる人が結構いる」という建物になったんですが、田邉さんは「足湯があったらいいと思わない?」とさらに型破りなことを発想するのです。
 

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薪ストーブのある待合室

こういう「箱」が欲しい

こうして開業して約1年後、東日本大震災が起きます。直接的な被害はなかったものの、東京電力では計画停電が実施され、田邉さんもエネルギーのことについて考え始めます。

今まで僕は、電気会社っていうのは必ず電気を配ってくれるもんだと思ってたし、「原発事故なんて起こらないんじゃないの?」と思ってました。

でも、例えば東南海で大きな地震が起きたら、ここだって停電するかもしれないし、計画停電の対象になるかもしれない。そうなったら電子化しているカルテも読めないし、医療機器も使えない。医者もいて看護婦もいて建物も無事なのに、仕事ができなくなってしまうと想像しました。

だから、外の世界がどうなっても、最小限度の電気があって少なくとも仕事ができるようにしなきゃいけないと思ったんです。

しかし、解決策は簡単には見つかりません。佐久穂町はLPガスを使用する地域のため、ガスのコジェネレーションシステムであればある程度の期間は大丈夫なはずなのですが、当時は独立運転システムが無く、電気がなければコジェネレーションシステム自体が動かなかった。

いろいろ考えた田邉さんはソーラーやコジェネレーションを組み合わせたシステムを考えます。それを娘さんたちに説明するために描いたというのがこの絵です。
 

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田邉さんが娘さんに説明するために描いたという図

この絵で発電や充電、放電を適切に処理するシステムに当たる「箱」が欲しいと説明するのですが、そのような箱はなかなか見つからなかったのです。

しかし、1年後この「箱」が見つかります。それが兵庫県の慧通信技術工業の「パーソナルエナジー」でした。何度か問い合わせをした末、実際に来てもらい、医療機関として初めてこのシステムを導入します。

このシステムはソーラーパネルで発電した電気を整流化し、蓄電池に充電しながら施設内でも利用できるシステムで、たなべ診療所では出力12kW(100V×120A)、蓄電能力が約45kWhという構成で、約2時間の発電で約16時間分の電気をまかなえるといいます。

現在、基本的にレントゲン以外の電気はこのシステムでまかなっているものの、中部電力からの電気も非常時の切り替え用に利用しています。費用は3000万円と高額ですが田邉さんは「これは僕の“ポルシェ”なんです。これがこれからのスタンダードになる思う」といいます。

BCPも考えて、企業の社会的責任として困ったときに地域を助けなきゃいけないと考えると、これがスタンダードになる。周りの家もこのシステムを導入すればオフグリッドのネットワークができるし、100軒、1000軒、1万軒と増えていけば安くなると思う。

押し付けるんじゃなくて、まず自分でやって、もしみんながそういう気分になった時に、「そういえばあそこでやってるよ」っていうのがあれば、進んでいくと思う。

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パーソナルエナジー本体。この裏にさらに蓄電池がある。

自分がやってみせるしかない

この田邉さんの「まずやってみせる」という姿勢は建築やオフグリッドにとどまりません。診療所では現在、駐車場を拡張する計画が進行中で、それに伴い、敷地内にウォーキングコースを設ける予定だといいます。その理由は、歩く場所がないから。

長野は健康長寿の県だったんだけど、車のせいで脱落していくと思う。歩かないと老化が進む。だから「歩いてください」って言うと「でも先生どこ歩いたらいいだ?」っていうの。

道路には歩道がないし、山は危険だし、川は昔鉄砲水が出て犠牲者がたくさん出たのであまり近づきたがらない。だから小規模にでもつくれば、ああやって歩く場所をつくればいいんだって真似してくれる人も出てくるんじゃないかと思って。

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診療所をぐるりと一周する歩道を整備したいという。

この姿勢は医療や健康だけにとどまりません。田邉さんは地元の産品である信州サーモンが地元では買えないというので、生産者にスモークサーモンをつくって欲しいと要望。実際に一緒に考えて、試食までして製品化してもらったり、生ハムが好きだからと、ハム屋さんに豚を育てるところから生ハムづくりをしてもらったり。

それは「自分が食べたり、人にあげて自慢したいから」だといいますが、「あったらいい」というだけでなく、実際に「やってみる」ことで新しいものを生み出していっているのです。

僕がつくって欲しいって言ったギフトは、僕がたくさん買ってみんなに送るから、この小さい街では無視できない存在になる。そうすればみんなの目にも触れるようになる。

僕が仕事を終えて帰ったときに、イタリアの知らないおっさんがつくったハムより、知っている人が一生懸命つくったハムのほうがいいじゃない。

地域のためにとか、地元の経済のためにというのではなく、自分がこうしたいからこうする。やってみて良かったらきっと他の人も真似するんじゃないか、そんなふうに田邉さんは言います。

それはサーモンでも、オフグリッドでも同じ。さらに言えば地域に限らず、診療所のオフグリッド化がスタンダードになっていくというのも同じことなのです。

お医者さんらしい穏やかな話ぶりで、どんどん面白いエピソードを聞かせてくれる田邉さんの話を聞きながら、世の中を変えていく人というのはこういう人なんだと強く感じました。

何かを変えようとするのではなく、自分が心地良いように周りを変えていくことで、彼らにとっても心地よい環境ができ、その人達も自分の周りを変えていく、それが徐々に広がっていくことで社会が変わっていく。そのようなビジョンをおそらく意識のどこかで持ちながら、「自分のため」に行動しているのではないでしょうか。

最後に田邉さんに、どうしたらそんなふうに考えられるのかを聞いてみました。

みんな、自分で事業を始めたらいいんじゃない?その事業をまじめに展開するにはどうしたらいいか考えたら、根っこの部分から考えなければならなくなるし、そうすれば自然とこうなるんじゃないでしょうか。そう思います。

事業でなくとも、自分の生活のことを本当に真剣に考えれば、周囲の環境という「社会」のことも考えざるを得ません。そして自分が思うような未来を手に入れるためには、周りにそれを認めてもらわなければうまく行きません。

田邉さんにとっては、地域医療を提供する診療所の医師という自分、そして家族とこの土地に暮らす自分、それを真剣に考えた結果、このような生き方を選択することになったのでしょう。

最近、たなべ診療所の周りに次々と住宅がたち、田んぼが潰されていっているそうです。田舎ののどかの風景が変わってしまうことを嘆きながら、「診療所が近くにあるから人が集まるという面もあるから自業自得だね」と笑いながらいう田邉さん。これからも、佐久穂町をもっともっと住みよいまちにしてくれるはずです。

そんな田邉さんにとっても地域に溶け込むということはそう容易なことではなかったはずです。

どのように地域の中で暮らしていくのかみなさんも少し考えてみてはいかがでしょうか?
 

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田邉哲さん、穂積雄平さん、水野義人さん

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