「暮らしのものさし」では、ただ消費者として暮らしを営むのではなく、自分の暮らしをデザインする、“暮らしのつくり手”たちを紹介しています。※この特集は、SuMiKaとgreenz.jpが共につくっています。
これからの建築・不動産・まちづくりに欠かせないリノベーションの実践技術を学ぶ場として、今後のまちを提案し実現する「リノベーションスクール」が開催されていることを知っていますか?
・まちにダイブせよ!(清水義次)
・あなたでなければ ここでなければ 今でなければ(大島芳彦)
・右手に志、左手に算盤。(岡崎正信)
・Say Money!(木下斉)
・現代の家守たれ!(清水義次)
・リノベーションまちづくりは小さくはじめよ!(馬場正尊)
・泣いた。(徳田光弘)
・リノベーションでしごとをつくる。(嶋田洋平)
これらは、リノベーションスクールのウェブサイトに書かれているメッセージです。
北九州市で2011年8月から半年に一度、これまでに7回開催されてきましたが、さらに全国に広まっています。どうしてこんなに大きなムーブメントになったのか、その経緯について、リノベーションスクールを企画・運営する、「らいおん建築事務所」の嶋田洋平さんにお話を聞きました。
嶋田洋平さん
らいおん建築事務所代表、一級建築士。東京理科大学理工学研究科建築学専攻修士課程修了後、みかんぐみ入社。チーフアーキテクトを経て独立後、現職。 建築設計の仕事を主軸にまちづくりなど、さまざまなモノ、ゴトのデザインを行っている。
絵に描いた餅ではなく、実物大をまちにつくる
リノベーションスクールは、4日間かけて、実在する遊休不動産のリノベーション事業プランを企画し、事業化を目指す集中講座です。
市内の空き物件を持つオーナーさんに物件を提供してもらい、そこでどんな新しい事業ができそうか、遊休不動産でまちを再生する方法を、全国から集まった参加者がチームごとにアイデアを出し合います。
8名ほどのチームごとに”ユニットマスター”と呼ばれるファシリテーター役がつき、初日はオーナーさんへのヒアリングや周辺エリアの調査をしてからアイデアをまとめ、2日目からは事業収益をシミュレーション。
今ある空き家をどんなふうに使えば人の集う場所になるか、事業として成り立つか、新しい暮らしが実現できるかを議論して、最終日には不動産のオーナーさんに事業プランを公開プレゼンテーションします。
「リノベーションスクールは、リノベーションのデザインを検討するわけではない」と嶋田さんは話します。
建築や不動産の知識がなくてもまったく問題ありません。建物の再生ではなくて、建物が再生されることでそのエリアがどんなふうに変わるのか、どんな波及効果をつくれるのか。そうした、新たなまちのビジネスを考えるスクールなんです。
事業収益のシミュレーションについては、オーナーさんはいくら投資をする必要があるのか、資金調達をどうするのか、プロモーションや入居者集めをどんな方法で行うのかなども具体的に落とし込みます。
スクール開催期間中は、ライブアクターと呼ばれる講師がまちづくりやリノベーション事業の組み立てについてレクチャーをおこない、エリア内の複数の会場でトークライブイベントがおこなわれます。
このリノベーションスクールの一番の特徴は、まちの新しいビジネスを生み出してエリアを再生する、“実践の場”であること。
オーナーさんが「やってみたい」と言った場合は、提案したあとの実プロジェクト化とそれらの運営管理を、嶋田さんが率いる「北九州家守舎」がフォローして、絵に描いた餅ではなく、まちのなかに実物大のプロジェクトを展開していくのです。
例えば、「メルカート三番街」には、現在若手デザイナーやクリエイター10組が入居しているんですが、これまで若い事業者たちは、中心市街地に活動の拠点を設けたくても、商店街のテナント賃料が高くて、入居しづらかったんです。
だから、1フロアを2〜20坪の区画に区切って、彼らが入居できる賃料を設定して、その代わりに、入居者を先に集めてから工事をしました。
「メルカート三番街」があるのは、北九州市の中心、小倉駅近くの「魚町銀天街」。歴史のある商店街でありながらも、近年は空き店舗が目立つようになっていたのだとか。
北九州に若いクリエイターはいないのではなく、いる場所が家だったというだけの話。
リノベーションをして、若い人の新規創業や雇用を増やすことで、まちの雰囲気をがらりと変える。リノベーションスクールを通じて、このような事例が次々と生まれてきているのです。
補助金はいらない。借金をして自分たちの手で事業にする
リノベーションスクールで生まれたアイデアの実現をフォローをする「北九州家守舎」は、嶋田さんが代表をつとめ、ほかに徳田光広さん(九州工業大学准教授)、片岡寛之さん(北九州市立大学准教授)、遠矢弘毅さん(カフェカウサオーナー)の、守備範囲の異なる4人のパートナーで構成されています。
<
実際にリノベーションプロジェクトを動かすときは、すべて自分たちで借金しています。
補助金をもらうと、それに寄りかかってしまって、結果的にプロジェクトが自立しないんですよね。パートナーにはそれぞれ本業があって、「家守舎」は副業。まちづくりで稼いだら、まちに再投資すると決めているんです。
北九州家守舎は、ひとり10万円ずつ、嶋田さんだけ20万円を出資してつくった会社。最初のプロジェクトとなった、クリエイティブ事業者のためのコワーキングスペース「MIKAGE1881」では、400万円ほどの投資が必要だったので、さらにひとり50万ずつ出し合って、足りない資金は不動産オーナーさんや、小倉エリアの事業家から集めて、このプロジェクトにすべてのお金をつぎ込んだのだとか。
銀行はお金を貸してくれないんです。まちづくりってボランティア活動はたくさんありますが、ビジネスモデルとしての前例がない。銀行は意味が分からない、と(笑)。
僕らにもたくさん実績があるわけではないし、不動産を持っているわけでもない。だから資金調達には苦労しますが、自らリスクをとって事業化することに意義を感じています。
行政に任せずに、自分たちでまちをつくる
リノベーションによるまちづくりを、補助金をもらわずに民間企業としておこなっている「北九州家守舎」ですが、ここに出てくる“家守”とは、江戸時代のまち役人のこと。幕府は財政的に厳しく、60万人を治めるまちに武士が300人しかいなかったのだとか。
60万人の市民といったら、行政マンは6000人くらいいるのが普通です。300人でどうまちを治めていたかというと、2万人ほどいた“家守”が担っていたのです。
彼らは、地主さんが建てた長屋の大家さん。不在地主に代わって家屋を管理する役割を担い、家賃の一部を自分の収入にして生計を立てていました。奉行所の御触書をまちの人が理解できるように知らせたり、争いが起きると仲裁をする簡易裁判所の役割も担っていました。
“家守”は、幕府から1円も給料をもらっていない民間人です。30人に1人の割合で家守がいて、町人が自分たちのまちをつくり守るために、幕府からお金をもらわずに独自にまちの維持管理をしていた。
江戸時代は、火消しだって民間でしょ。寺子屋も民間。公共サービスのかなりの部分を民間人が担っていたということです。
北九州市は、都市型の産業を集積させて駅周辺の空きオフィスなどを活用し、新しい産業を生み出そうと考えていました。
リノベーションスクールの第1回に講師として参加した嶋田さんは、建築・都市・地域再生プロデューサーの清水義次さんがプロデュースし北九州市が打ち出した、まちの再生には“現代版家守”が必要だという「小倉家守構想」に出会います。
自治体の財政難が目立ってきている今、行政はすべてのサービスを維持することは難しい。これからは、民間主導の地域再生が必要だと思うんです。だから、リノベーションスクールは“家守”を育てるための学校だともいえます。
世の中がどうなるかということに、無頓着ではいけない
嶋田さんは、らいおん建築事務所を立ち上げる以前、建築設計事務所みかんぐみのチーフアーキテクトを務めていました。
当時は、目の前にある仕事に向かうことに精一杯で、世の中がどんなふうになっていくかとか、そうしたことに無頓着だったと話す嶋田さんですが、独立を考え始めたころに、山崎亮さんやナガオカケンメイさんも関わった鹿児島の「マルヤガーデンズ」のリノベーションに携わります。
そのときに山崎亮さんが、「人口減少をする時代に新しい建物を建て続けていいのか?」と言っていて、衝撃を受けたんです。
いろいろ調べてみると、全国に空き家が700万戸もあるとか。現在の空き家は820万戸ですね。住宅の新築着工件数も半減している。それでも、毎年80万戸が新築されていて、住宅戸数の全体としては増え続けている。これはおかしいなと思って。
素直に考えれば、もう新しい建物はつくらなくてもいい。それよりも、古い建物、使われていない建物をどううまく使いこなすかを考えるようになった、と嶋田さんは続けます。
社会全体としてみれば、つくらないほうがいい。空き家が増えているのに新築も増えていることは社会的課題だと認識したことが、僕の出発点なんです。
江戸時代に4000万人くらいだった人口が1億2000万人くらいに増えて、人口推計によると、また100年かけて4000万人くらいに戻る。急激に人口減少する大変な時代を迎えようとしている。考え方をがらっと変えなくちゃいけない時代なんじゃないかと思いました。
鹿児島の「マルヤガーデンズ」は、県下最大の繁華街にある商業施設であるにも関わらず、テナントが撤退。ちょうど同時期に、嶋田さんが北九州市小倉で最初にリノベーションに関わることになった「中屋ビル」も空き家になりました。
リーマン・ショックの後でしたね。鹿児島にしても北九州にしても、地方の都市部の大きな商業施設が次々と空き店舗化するという事態が起こっている。個別の建物をどうリノベーションするかによって、そのエリアを変える社会的なインパクトを持つことができるのではないか。
空き家や空き店舗のリノベーションがきっかけになって、エリアの再生ができるのではないかと考えたんです。
考えている暇はない。動いていれば、何かが起こる
リノベーションとは、もはや単に建物の改修ではなく、それをきっかけとして、エリアそのものを変えていくもの。そしてその主役となるのは、建築家でも専門家でもなく、あくまでそのまちに住んでいる人たちだと嶋田さんはいいます。
僕は住まいのある豊島区と北九州を行き来していますが、生活者の視点で豊島区を見てみると、子育て世代が暮らす“ちょうどいい広さの住まい”が少ないことを実感しています。
豊島区が“消滅可能性都市”と発表されたのを聞いて、そりゃそうだと思いました。23区では唯一です。子どもたちが大きくなると、家が手狭になって、みんな区外へと引っ越していく。一方で空き家がたくさんある。これは僕の一番身近にある社会課題です。
もちろん、実際には消滅するわけではなく、自治体が経営破綻するということですが、嶋田さんは、どうしたらこのまちが楽しいまちになるかを考えるように。ほどなくして、子育てをしながらやりがいを持って働ける場所をつくりたいと、奥さんがカフェ「あぶくり」をオープンします。
やりがいを持って働ける場所がないというのは、地方の衰退と、全く同じ構造なんです。今、豊島区とも議論を重ねていますが、こうした地域の根本的な課題の解決を、僕らのような民間がビジネスとして成立させていくことが大切だと考えています。
北九州で始まったリノベーションスクールは、来年の2月に8回目を開催。そして熱海市、山形市、鳥取市、浜松市、和歌山市など、日本各地で展開され、東京でも、豊島区雑司ヶ谷で来年の3月に始まる予定なのだそう。
もしかすると、これまで地方都市の課題だと思われていたことの本質は、東京のあちこちにもあるのかもしれません。
自分が住んでいるまちを、もっと楽しくしたい。
自分の子どもの故郷を、ずっと残してあげたい。
こうした思いは、きっと誰にでもあるもの。社会へのまなざしとまちへの愛着があれば、まちは生活者視点で変えていくことができるのです。
リノベーションスクールへの参加が難しいなら、自分のまちをじっくりと観察することから始めてもいいかもしれません。空き店舗や空き家があるなら、どんな波及効果のあるビジネスが展開できそうか、考えてみませんか?