建築家と家づくり 好きに暮らそう SuMiKa
2015年 9月28日

建築でも何でも戦略的につくらないと誰にもささらないよね。

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鄭 秀和

インテンショナリーズ代表ADDAファウンダー

てい・しゅうわ:1968年生まれ。1994年武蔵野美術大学大学院造形研究科デザイン専攻建築コース卒業。1995年遠藤治郎、大堀伸と、建築を通したモノづくりを実践するレーベルとしてインテンショナリーズを設立。建築のみならず、インテリア、工業製品、家具など生活におけるデザイン全般を手がける。代表作に「HOTELCLASKA」「ユナイテッド・シネマ豊洲」「神宮前レジデンス」「東北エモーション」「amadana」のデザインなど。
http://www.intentionallies.co.jp/


1995年.
彗星のごとく建築業界に現れた“レーベル”、インテンショナリーズ.
彼らは「家具から超高層建築まで」を高らかに宣言し、
それまで誰も見たことのなかった活動を次々に展開.
20代建築家3人の動向に、多くの人々がシビレまくった.
「ひとりの建築家で10年かかることを、3人で、3年で成し遂げるんだ」
その活動はやがてメンバーのひとり、鄭秀和さんに引き継がれていった.
あれから20年、今、わたしたちの目の前に立ちはだかっている行き詰まり感のほとんどは、
あの時のインテンショナリーズによって、既にブレイクスルーされていたんじゃないだろうか.
あの人たちは、早すぎたんだ!
そう気付いて、跳び上がった.今すぐ、インタビューに行かなくてはならない.
鄭さんは、今なお最前線で突っ走っている.
あの時宣言した通り、携帯電話からデベロップメントまでを手がけ、
しかも、どんなものにでも常に、建築への軸足を少しも離さないまま、
情熱的に、かつしたたかに.


田中:私は、ただ建築がすごく好きになってしまって、学校に通わずそのまま、業界に飛び込んだんですけど、ちょっと時間かけて眺めてたら、こういう5つの問題がやばいなと思って、それでこのオウサムを大西と立ち上げました。で、企画しながら、あるとき気付いたんです。“建築の拡張”だなんだ、今でこそ通じる話になっているけど、そういうことをいち早く発言して、実践してたのは、インテンショナリーズの鄭さんじゃないかって。そもそもインテンショナリーズは、学生時代に立ち上げたんですよね。

鄭:最初は、焼きそば祭を変えるぞみたいなものだったんですよ。

田中:(笑)、焼きそば祭を変える!?

鄭:学園祭でね。武蔵美の学園祭なのにほかの学校と同じように焼きそば焼いてる場合じゃねぇだろうみたいな。もっとクリエイティブなものにしようぜってのがあって。1988年だから、私は1浪して1年生で19歳のとき。後にインテンショナリーズを一緒にやることになる、当時3年生だった大堀伸(1967-)と遠藤治郎(1966-)に出会って。僕は遠藤のチームに入って、体育館に4日間だけのディスコつくって、大堀は屋外に足場材で移動する建築をつくったんですね。小沢健二(1968-)や小山田圭吾(1969-)のフリッパーズ・ギターや、いとうせいこうさん(1961-)なんかにも出演してもらって、千人以上が集まって。4日間でつくって消える「消える建築」みたいな。

田中:やばいっすね、すでにやばいっすね。

鄭:(笑)。自分はこのとき、映像と音楽をやりたくて。映像はもう、当時VJですよね。Fairlight CVIっていうビデオ・エフェクターを使いまくって。で、武蔵美に最初にDJを持ち込んだのが俺って感じでした。なんですけど、で、まぁそこからインテンショナリーズにいくっていう感じなんですよね。

田中:焼きそばがこうなったわけですね。

鄭:そうですね、焼きそば。

田中:じゃあ、そのまさに学園祭が、なんて言うんでしょう、年代を越えたチームをつくるきっかけになったんですかね?

鄭:そうですね。そういうこともやりつつ。で、自分は1,200人ぐらいの前でDJを最初にしちゃったら、その快感が忘れられなくなって、音楽の道にも少しこう足を突っ込むっていうきっかけにもなったんですけど。

田中:なるほど、なるほど。建築を勉強しに武蔵美に入られてたわけですけど、建築にはもともと興味あったんですか?

鄭:もともとあって、それは自分の中で今も変わってないです。建築イコール建物ではないっていうか、建物をつくることはもちろん建築ではあるけど……っていうのが、ずぅっとあって。
高校時代は、絵は習っていたけど、自分には創作意欲がなくて、アーティストとかにはなれないんじゃないかなって勝手な思い込みがあった。そんな中、あるきっかけでグラフィックじゃねぇなと思って。もっと社会性があるっていうか、大きいもののほうがって考えて、でそれだったら建築が近いのかなって勝手な誤解があって(笑)。でまた、ある先生に建築やるなら理工だろって言われて、理転して、予備校の暗黒時代を過ごしたりして。

田中:そんな時代があったんですね。でも、高校時代からすでにアーティストになるとか、物を作る人間になるとか、そういうビジョンを意識するのも、結構早いですね。

鄭:家が自営だったこともあって、たぶん自分は自営業なんだろうなっていうは、ありましたよね。

田中:社会性を持ったもののほうが、いいのではないかっていう目の付けどころも、高校生らしからぬ(笑)。でも、実際どうでしたか?建築を勉強する前の期待感と実際に大学で学びはじめてからと。

鄭:自分は武蔵美に入ったわけだから、アートの延長としての建築みたいなビジュアルを頭に描いていたのに、もう19歳の春にして挫折ですよ。だって、みんな東大出身の先生ばかりだったんだからね。竹山実先生(1934 -)だけは早稲田出身だったかな。良い悪いとかを言っているのではなくて、純粋に何なんだろう?って思っていました。自分は美学を学びたいはずなのに、この人たちは何を言ってるんだろうって。僕らは“建築家シャツ”って呼んでたけど、マオカラーが基本みたいで、時に鍵盤柄のネクタイをしてる先生とかいたりして、センス大丈夫か?みたいな。ここから繰り出される美学しか習えないの?みたいな。

田中:じゃあもう革命のともしびが、早めにともってたわけですね(笑)。

鄭:頼まれてもいないんですけどね(笑)。

田中:いやでも、その学生時代からやがてインテンショナリーズを立ち上げて、1980年代後半から90年代にかけて、正面突破していくのが、すごく驚きだったんです。でも、建築学といいますか、地味に純粋な建築そのものも当然お好きだったわけですよね。

鄭:どっちかって言うと自分は常にそういうことを斜めから見ちゃう癖があって。先生に教わったことをストレートに受け続けていても、うまくいくわけがないとは思ってましたよね。既に決められた王道に対する違和感がすごくあった。たとえば、学校に入ると国語、算数、理科、社会とあったり、大学に入ってもいろんな学科があったりするのに、建築学科に入った瞬間、“あるひとつの建築”しかなかったわけです。それで、あれっ?建築ってそういうもんなのかなって、当時強烈に違和感を感じたのはありますよね。

田中:やばいとこ来ちゃったなと思いました?

鄭:はは(笑)。ただ、周りが面白かった。グラフィックとかアートとかやってる人間もいたので、自分の中ではこう、そういうことが建築とか空間のひとつの大事な要素として普通にあったっていう感じです。

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田中:武蔵美の環境によって、だいぶアンテナの幅が広がったんですね。グラフィックでも、音楽でも、何かひとつを捉えるときにも、いろんな要素をひっくるめて考えるような癖、考え方が建築にはありますからね。

鄭:そう、それはあったと思いますね。かといってもちろん建築を否定してるわけではなくて。建物をつくるっていうことってすごい大変で、そこはもちろん理解してました。ただ、僕らが大学で学んでた80年代後半はポストモダン全盛期で、本当に建物のことしか教えてくれなくて、その先がなかったというか。たとえば、今ならコミュニケーションみたいなことが、都市の中でどうあるかなんて話は積極的にされているけど、そんなものまったくなかった。それこそインテリアなんて言おうもんなら、それは建築の下部組織だ、みたいな、そんな空気があったから(笑)。

田中:あぁ、はいはい。なんだそれっていう感じでしたよね。

鄭:プロダクトなんて言っちゃった日にはもう。失礼な差別用語すら飛び交うみたいな(笑)。

田中:そうそうそうそう。なんかこう、物の大きさと偉さが比例してるような感覚が漂っていましたよね。

鄭:もう意味分かんないですよね。当時から、いっつも言ってんですけど、エンドユーザーってのは、そんなもの区分けして生活しているわけじゃないじゃないですか。今日は、私はインテリアには触れないぞ!みたいな。

田中:無理無理(笑)。

鄭:そこに関しては、当時からバグってるなとは思ってましたよね。

田中:でもそれ、そこからいきなり変えてやろうって意気込んだわけでもなかったでしょうし、悶々と過ごされていたと思うのですが、その1年生のときの学園祭を機に、インテンショナリーズ構想というか、そういうものがはじまったのですか。

鄭:その1回がすごかったのもあって、自分たちでも燃え尽きちゃった感はありましたよね。で、次の年からは、コピーれて行われていったけど、年ごとに形骸化されていって、最初にやってた意味が薄らいでいくのをすごく感じて。そのときから、自分の中で、デザインすることっていうのは意味をつくることだから、そういうことじゃねぇんだよなって気持ちが芽生えはじめて

田中:めちゃめちゃ早いですね。

鄭:え?

田中:めちゃめちゃ早い。

鄭:早いっすか?

田中:早いっすね。デザインは形のことではなく、意味を生み出すこととか、価値を生み出すことが本質であるってことに、多くの人は紆余曲折してたどり着くと思うのですが、とにかくめちゃめちゃ早かったんですね。そんなことを思いながら、建物の授業を受け続けたわけですよね?

鄭:そうですね。だから、大学で教えられる建築には、まったくエレクトはしなかったですけどね。

田中:先生たちとはどうでした?仲よかったです?

鄭:仲はよかったですけど、私に対しての評価は、何をやってるかが分からないってものでしたよね、やっぱり。自分の年の卒業設計のときは、安藤忠雄さんまんまのパースを描いていたものが一等になったんですよ。そんとき武蔵美は死んだと思いました(笑)。
そんとき自分がつくった卒業制作は、実は今やってることだったりします。関係性の中で都市が勝手につくられてしまっていくというシナリオを、未来の2013年ぐらいに自分が現れたという設定で、全部自分で書いて。かつての建築家が夢見たような、コルビュジエ的な都市計画はそのときにはなくて、関係性をつなげることにコミットすることを提案したんですけど、どの先生にも「わからない」って言われて。

田中:まさに予言の書ですね。これまでの既存の建築像とご自分で気付かれたこれからの建築像との、対峙だったわけですね。
インテンショナリーズは、大学卒業後にどんなきっかけで結成となったのですか。

鄭:卒業後、ほかの2人、大堀と遠藤が、 疲弊していたのが、きっかけだったんですよ。自分は、意外とソリューションタイプだから、それなら一緒にやろうと。2人は卒業後アトリエで働きはじめたんだけど、3日、4日の徹夜は当たり前で。

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・・・つづきはawesome!紙面で!


※この記事は『awesome!』6号(2015年8月号)に掲載されたものの一部を転載しています。
※awesome!は、全国の大学や専門学校など、建築系教育機関約350箇所で配布されています。また、下記の書店およびネットショップにて1部100円で購入できます。

[東京都]

  • NADiff contemporary(東京都江東区三好4-1-1東京都現代美術館1F)
  • 青山ブックセンター六本木店(東京都港区六本木6-1-20六本木電気ビルディング1F)
  • 南洋堂書店(東京都千代田区神田神保町1-21)
  • B&B(東京都世田谷区北沢2-12-4第2マツヤビル2F)
  • gallery5(東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー3F)
  • 代官山 蔦屋書店(東京都渋谷区猿楽町17−5)
  • BankART Studio NYK(横浜市中区海岸通3-9)

[大阪府]

  • 柳々堂(大阪府大阪市西区京町堀1-12-03)

[石川県]

  • 金沢21世紀美術館ミュージアムショップ(石川県金沢市広坂1-2-1)

[岡山県]

  • アクシス・クラシック(岡山市北区田中134-105)

[佐賀県]

  • マチノシゴトバ COTOCO215(佐賀県佐賀市呉服元町2-15)

[ネットショップ:BASE]オンラインで購入する事も可能です。

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