「暮らしのものさし」では、ただ消費者として暮らしを営むのではなく、自分の暮らしをデザインする、“暮らしのつくり手”たちを紹介しています。※この特集は、SuMiKaとgreenz.jpが共につくっています。
「デザイン」という聞き慣れた言葉があります。では「美しいデザイン」という言葉からは、どんなものを想像するでしょうか。
独創的でインパクトのあるもの、簡素で主張しないけれどなぜか心に届くもの。また、効率よく人を安全に導く駐車場の白線といった、行動のデザインを思い浮かべるひともいるでしょう。
「つながりと関係性を考えることがデザインではないか。ただ消費されるためにつくるのではなく、叡智を積み上げるクリエイティブを」と語る織咲誠さんは、プロダクトデザインを通じて人との豊かな関係性を育み、デザインという言葉の持つ意味の幅を広げています。
面白い!じゃあやろう!クラウドfun doing
織咲誠(インターデザインアーティスト)
「より少ないものでより多く」「自然力を取り込む知恵」の思索と提案。「物質量やコストに頼らない」利を得るクリエイティブの提唱と実践をしている。思想からうまれる形は世界で特許登録され、数々の製品として世に出つつある。
1998年「Hole Works」個展(英国ハビタ)、2007年「ニュービジョン・埼玉 Ⅲ──7つの目×7つの作法」展参加(埼玉県立近代美術館)、瀬戸内国際芸術祭2013(小豆島)。2002年「ファイル展」、2004年「FILING展」企画・構成。2005年「BRAUN展」、2012年「DESIGNTIDE TOKYO 2012」会場構成・制作(六本木ミッドタウン)。「URBANART#1」 大賞、審査員賞、第14回桑沢賞などを受賞。
アートとデザインの領域で活動する織咲さんが2010年から取り組んできたのは、ダンボールに折り目をつくるためのカッターを通じての共感出資です。
このカッター「or-ita(オリタ)」は、コロコロ転がして折れ目を切ることで簡単に折り曲げることができ、梱包材を適切なサイズに加工したり作品をつくったりと、思い思いに形を変えることができます。
元々は、織咲さんが自分のためにつくった道具でしたが、ブログを通じて「欲しい!」という希望者にひとつずつ手づくりして発送していたそう。希望者はただ購入するだけもできるのですが、織咲さんは量産体制を整えるため、購入申し込みの返送メールにて一口1000円からの出資を募り始めました。
まだクラウドファンディングが日本で始まる前だったので、あとから知人に“それってひとりクラウドファンディングだよ!”と言われました。でもぼくのやりたいのはクラウドファンディングではなく、“面白い、やろう!共感出資するよ!”っていう「funという共感があって、doという行動が生まれること」なんです。
織咲さんの考えた共感出資「or-ita fun-DO!」は、その仕組みも斬新。出資者も、販売者である織咲さんも、お互いに少しづつうれしい仕掛けがしてあるのです。
例えば100口10万円出資して頂けたら、2年後に出資額を年利5%つけて全額返金するようにしました。つまり10万円を11万円にして返す。もちろん出資しないで商品の購入だけでもいいんです。
通常のクラウドファンディングでは出資額はプロジェクトのために使われるため、出資者にお金が戻ってくることはほぼありません。さらには一定口数以上の出資者にはイベント招待などの優待も用意されています。でも、こうしたやり方で織咲さん自身が負担になることは無いのでしょうか?
もちろん大きな負担ですが、出資頂いている総額が100万円単位ですから、製品が量産できたあとであればその数%でも大した額ではないんです。
例えるなら、自分が山で遭難して食べ物に困っている時にひとかけらのチョコレートをくれた人にしっかりお礼をしたいという感覚。あるいっとき、プロジェクトを前に進ませてもらえたことへのお礼ですね。
お金が無い、時間が無いからこそクリエイティブが発揮される
現在の出資者は150名くらいとのことですが、個人以外に卸すときには通常の掛率よりも高めに設定することで、全体最適を考えているのだそう。誰かが得するために誰かが損するのではなく、関わる人それぞれが価値を認め合う、フェアで気持ちいい関係です。
通常、なにかのプロジェクトを始めようとするとき、まずは資金が必要という考えにおちいってしまいがちですが、織咲さんの考えはこうです。
お金を理由にしてものづくりをやめてしまうひとはたくさんいるけど、それはクリエイティブの敗北だと思うんです。お金が無い、時間が無いからこそクリエイティブになる。経験上、お金のあるプロジェクトよりもお金のないプロジェクトの方が頭を使うので、本当にいいものができます。
出資する支援者とダイレクトにつながり、フェアで心地よい関係をつくった織咲さんの「or-ita fun-DO!」ですが、意外にも本人は今後この仕組みを使うつもりは無いそう。
ゼロ円でもプロジェクトを始められるということ自体がロールモデルになって、誰かを勇気づけられたり、参考にしてもらえたらそれだけで最高です。次はぼくが支援する側にならないといけませんから。
自然の形に沿わせ、最小限を心掛ける
織咲さんは、「デザインは世界で起きている様々な問題を解決する力があるのに、物売りや自己表現のためだけに使われるのはもったいない」と話します。そうした価値感を育んだひとつのきっかけとなった出来事は、小学4年生の頃に体験したオイルショックでした。
冬でも半日はストーブを消すことが奨励されていて寒さに凍えたり、テレビのニュースをつけると主婦たちが血相を変えてトイレットペーパーを奪い合っていたり。
そうした状況に子どもながら、この世の終わりのような気分を感じていました。地球環境を脇に置いて自分だけ良ければいいのか?という疑問を感じ始めたんですね。
また、その頃読んだ芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』にも影響を受けたそう。
せっかくみんなが助かる道筋が示されていたのに、それぞれが自分だけ助かることを考えてしまったせいで糸が切れ、みんなが地獄に落ちた。この話はぼくにとって全体最適を考える原点だったかもしれません。
その後、桑沢デザイン研究所に通っていた20代前半の頃、地球上の有限な資源の使い方や、社会問題への処し方について説いた思想家・デザイナーのバックミンスター・フラーの思想に出会います。
たまたま新宿に新しくできたギャラリーのこけら落としを見に行ったら、そこで開催されていたのがフラーの展覧会でした。なんとなくアンテナに引っかかって展覧会カタログを買って読んでいるうちに「より少ないものでより多く」という言葉に出会いました。
「より少ないものでより多く」とは、地球上の限られたエネルギーや資源を使用する際に、徹底的に効率を追求することで環境に与える負荷を抑え、地球全体の環境問題にも対処していこうという言葉です。
効率を高めることで本当に世界を今よりも良くしていくことができたら素晴らしいと感じました。環境への影響を無視したようなものや、お金や消費のためではなく、全体最適のために叡智を積み上げるクリエイティブをしていこうと漠然と直感したのもこの頃です。
そんなフラーの思想を携えてつくった作品のひとつが、「竹尾ペーパーショー」という紙をテーマとした展覧会で出展した紙皿でした。
一枚の紙の上にわずか数本の線が引かれ、手で軽く握る動作だけでそこに紙皿の形が出現します。デザインとして単純に色や形を与えるのではなく、より少ないものでより多く。ドミノ倒しのように、ポンとひとつ小さなエネルギーを加えることで動作がつながって大きくなっていくようなプロダクトです。
自然の形に沿わせ、最小限を心掛けるということ。紙皿はあくまでもその一例です。
織咲さんはこうした作品を自分でつくるだけでなく、「より少ないものでより多く」という視点でデザインされた世の中の好事例を集めることも大学生たちと一緒に始めているそう。
優れた事例はどの分野にでも応用が効くものなので、これをきっかけに根本にある知恵や工夫を知って、それぞれの分野で利用してもらえたら多くの問題が解決すると思ってます。また、ゆくゆくはオープンソースな知恵のデータベース化も目指しています。
「効率を追求したもの」と言えば、大量生産でつくられた使い捨てのような製品やサービスを指し、一般的にネガティブな意味で使われることも多いように感じますが、俯瞰的に全体最適を考え、大いなる自然の仕組みに添わせるデザインは、「効率を追求する」という言葉をポジティブに転化する力を持っています。
植物や自然物も、取り入れたエネルギーを効率的に生命活動に活かすための必要最低限の形をしているはずです。なにより人間の手ではつくり出すことのできないその造形美は、やはり究極まで効率を追求したことによる美しさといえるではないでしょうか。
混沌の隙間から、アイデアが芽吹く
織咲さんのこうしたアイデアを形にする事務所兼自宅は、都市近郊でありながらも海と山に囲まれた自然豊かな場所。迷路のように入り組んだ細い道を登った、小高い丘の先にあります。
かなりの量の物があり、一見すると雑然とした作業場のような部屋は、少年がせっせとつくり上げた秘密基地のような空間。実際に今までほとんど人を入れたことは無いそうですが、そこにはクリエイティブな発想を生み出すための意図的な仕掛けがされていました。
まるで倉庫で寝起きして制作しているような環境ですが、整頓してしまうと偶然の出会いが無くなり、アイデアの入り込む余地もなくなってしまうんです。
だから目につくところにアイデアの種を雑多に転がしておく。なってしまう混沌ではなく、育む混沌ですね。ただ客観的に見て、カオスな部屋だなあとは自分でも思いますけどね。
そして、取材前から「どんなに劣悪な環境でも最低限クリエイティブでいられる仕掛けがある」と聞かされていたものがこちら。家のすぐ前の道ばたから摘んできたという、名もわからぬ草です。
買ってきた花よりも、すぐそこで摘んできた雑草の方がなんとなく好きなんですよ。可能性をたくさん感じるんですよね。そして、徐々に成長してくると「ああ、そう伸びるのか!」という発見もあります。
これがバラの花だと、綺麗だけどバラにしか見えないのでつまらないんです。知らないものを観察するという楽しみかもしれません。
また、織咲さんはほとんどモノを捨てるということが無いそう。
モノでも人でもそれぞれに必ずいいところがあり、なにか生かしどころがあるもの。気をつけていることとすれば、モノを捨てないからこそ、ずっと付き合うつもりで一番最初によく吟味します。
織咲さんがなにかモノを買う場合の基準は、「つくった人の愛情や智慧が込められていて、使うほどに良くなる可能性が秘められているかどうか」だと言います。
価格が安いだけで品質が良くないものとか、買ったときが一番良くてあとはどんどん悪くなっていくだけのものは避けますね。消費されるためだけにつくられたものや、好奇心の隙間を突いてつくられたようなものは使いません。
そうではなく、つくり手の配慮が見えてくるような、使っていくほどに味わいが出てくるものには希望や可能性を感じることができます。
「デザインで回答が出せるという証明のためにモノをつくっている」
道端に生えている草を花瓶に生けるという話や、モノを選ぶ基準についての中でも共通して語られるキーワード、“可能性”。
織咲さんの“可能性”という言葉の土台には、地球環境を現状よりも良くすることの一端を、自分自身の仕事を通じて担うことができるはずだという信念があります。
不可能と思われていることでも、できると思えばかなりのことができるはず。道路をつくっているひと、エネルギー問題に取り組んでいるひと、それぞれにいい仕事をしているひとがいる。
どの分野でも、プロフェッショナルのひとが確信して取り組めば、ほとんどのことはよりスマートにつくれてしまうと思います。もちろん自然エネルギーだってそうでしょう。
ぼくはコストや物質を多く使うことを前提とするのではなく、効率的で理にかなった姿にすることが結果的に美しいデザインやエコになるということをとにかく信じています。でも概念を語るだけでは説得力がありません。だからぼくはその証明のためにモノをつくっているんです。
未来への可能性を形にするために研究を続ける織咲さんは、平均睡眠時間約3時間。山や海もすぐそこの距離にありながら、畑やマリンスポーツも一切していないそう。
織咲さんの暮らしは、そのまま仕事であり、デザインをすること。“日々、一番関心のあることだけしている”と話し、好きなことだけやっているからこそ、息抜きも必要無いんだそうです。
子どもの頃に感じた終末感に引きずられて未来を悲観するのではなく、「だからこそ今より良くすることができる」と、無邪気な心そのままに可能性を信じて自分にできることを淡々と続ける暮らし。
そこから生まれる全体最適と高効率を形にするデザインが、あらゆる分野を越えて人々の営みを豊かにしていくことができれば、それは、私たちにとっても、環境保全を訴えてきた先人たちにとっても、美しい未来のデザインと言えることでしょう。
また、わたしたち自身も未来を生きる当事者として、美しさに対する感受性を磨いていくことが、その精度をより高めることになるはずです。
織咲さんが進めているオープンソースな知恵のデータベースを具現化した教育プログラム『Research of Lineworks』も出展する展覧会『活動のデザイン展』は、2014年10月24日(金)から2015年2月1日(日)まで21_21 DESIGN SIGHTでスタート。
http://www.2121designsight.jp/program/fab_mind/