みなさんは、映画『魔女の宅急便』を観たことがありますか? 街じゅうがオレンジ色の屋根で統一された、綺麗な街並みに、紺碧のアドリア海。諸説ありますが、クロアチアのドブロブニクという街は『魔女の宅急便』の舞台になっていると言われるほか、同じくジブリ映画の『紅の豚』のモデルになったとも言われています。
ちなみに、クロアチアの家の屋根はなぜオレンジ色かというと、クロアチアは雨が少ないため、屋根の瓦を安価な素焼きにすることが多く、酸化鉄のため瓦がオレンジ色になるのだとか。
またクロアチア西部の海沿いの町、ザダルもローマ時代の遺跡が残る魅力のエリア。ヒッチコック監督が、「世界で最も夕日が美しい町」として愛したことでも知られています。
クロアチアをはじめ、ギリシャ、ブルガリア、セルビア、アルバニアなど、10カ国あまりの国から成る東ヨーロッパ南部に位置するバルカン半島は、異なる民族と宗教が混在し、国ごとにまったく違う文化を持つエリア。
西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアと接するクロアチアは、家の表情もさまざまです。今回は、クロアチアの中でも、スロベニアの国境にほど近いサモボルと、セルビア、ハンガリーに接するバラニャ地方の家をご紹介します。
クロアチア・サモボルの川沿いの家は、建物の下の部分がなんだか特徴的…。というか、川の縁ギリギリに建っています。これは昔、建物と川を行き来する船で直接やり取りをしていた名残なのだそうです。
窓の形に“変化”をつけて、遊びゴコロをプラス
クロアチアの多くの民家は、外壁などの手入れはしておらず、質素なイメージです。こちらもシンプルな家ですが、よく見ると、外壁四角い窓、丸い窓、アーチ型の窓と、窓の形が少しずつ違います。こうやって“窓で遊ぶ”と、家に個性が生まれますね。
木製の“小屋”が併設された家
こんなちょっと変わったデザインの家を発見。どちらの家も、木製の“小屋”が併設されています。写真上は2階部分にもうけられていて、ひとつの部屋のようです。写真下の小屋は玄関です。扉を開けると、ちょっとした土間が広がります。私が暮らしているドイツもそうですが、部屋では靴を脱いでくつろぐ人が多いので、日本のような土間玄関は、こちらでも重宝します。
また写真上の庭には、庭にテラス用の日傘とテーブルと椅子が置かれています。朝食、カフェ、夕食と、天気のいい日はいつでもテラスへ。グリーンに囲まれた一軒家カフェのよう。庭にテラス用の日傘を置くだけで、特別な空間ができそうですね。
道を歩く人が楽しくなる、サモボル地方の家の窓
こちらは家の窓部分ですが、上部がややアーチ状になっている木製の出窓に合わせて壁もデザインされています。花は道を歩く人に向けて置かれているようで、散歩が楽しくなりそうですね。
ドナウ川沿いに広がる、バラニャ地方の家
バラニャ地方とは、クロアチアからハンガリーにまたがるエリア。セルビアとの国境にも近く、ドナウ川を挟んだ左側がセルビアです。
休日はドナウ川沿いの“週末住宅”へ
ドナウ川沿いには、週末や休暇を過ごすための“別荘”や“週末住宅”が立ち並んでいます。週末住宅は、比較的、自宅から近いところに持つのが一般的。別荘のように長期休暇のためというよりも、文字通り、週末だけを過ごしたり、ひとりでゆっくり読書をして過ごすなど、自宅の延長として楽しむためです。
川沿いに建てられている家はどこも、ドナウ川の増水に備えて床が高くつくられています。写真下もドナウ川沿いの週末住宅ですが、川から少し離れているので、高床にはなっていません。広めの庭やテラスは、のんびり過ごす週末住宅にぴったりです。
石造りならではの凝った装飾が印象的!
立派な石造りの家も目を引きます。写真上は屋根の小窓の間に小さく1893という数字が入っています。1893年に建てられたという意味なのだそう。窓の周りなど、石造りならではの凝った装飾も印象的です。
横に長い、農家のフラットハウス
横に長い平屋も多くみかけました。写真上は左部分がテラスになっています。このテラスは、食事をすることはもちろん、洗濯物を干すにも便利。さらに奥には家の3倍ほどの庭が広がっていて、鴨、鶏、豚など、さまざまな家畜がのびのびと暮らしています。
写真下のタイプは、テラスはありませんが、家の前が広い庭になっているので、庇の下に椅子を出してあり、腰を下ろしてのんびり過ごす人の姿がみられました。広い敷地がないとなかなか実現しませんが、複雑な動線がない平屋は、快適で、一度暮らすと手放せなくなりそうですね。
いかがでしたでしょうか。
どちらかというと古い石造りの家が多いクロアチア。日本とはまったく異なる、窓の形や屋根、壁の色使い、装飾、庭、テラスなど、家づくりの新たなヒントがみつかるかもしれませんね。
Text&Photo 矢島容代
フリーランスライター。日本では「エル・ア・ターブル」「ミセス」などの雑誌で記事を執筆。その後、フランス、タイでの生活を経て、2013年からドイツへ。現在は旧東ドイツの小さな村で夫と猫と暮らしながら、ときどきドイツの食や暮らしについて執筆。