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暮らしのものさし
記事作成・更新日: 2014年 5月26日

家は身体と世界との境界線。レンタルスペース「ワンキッチン」原崎拓也さんが世界を旅して気づいた、家づくりに大切なこと


「暮らしのものさし」では、ただ消費者として暮らしを営むのではなく、自分の暮らしをデザインする、“暮らしのつくり手”たちを紹介しています。※この特集は、SuMiKaとgreenz.jpが共につくっています。


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みなさんは、10人くらいで誰かの誕生日や門出を祝いたいとき、どんな場所を選びますか?多くの人はレストランやカフェなどの飲食店を思い浮かべるかと思います。

おいしい食事をしながら、会話を楽しむ場はたくさんありますが、今回は「人と人がつながること」を目的につくられた、キッチン付きのレンタルスペース「ワンキッチン」をご紹介します。

人と人がつながりやすいデザイン

「ワンキッチン」があるのは、東京・四谷三丁目駅から歩いて3分ほどの路地に入ったところ。室内は、木のぬくもりを感じる雰囲気です。

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広いキッチンでは、みんなで料理ができます

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冷蔵庫や食器、調理道具などは一式揃っています

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家具も内装も、すべて運営する原崎拓也さんの手作り。設計士の友達に手伝ってもらい、半年ほどかけてDIYで作ったそうです。既成品をなるべく使わないようにし、扉も作ったのだとか。木材や塗料などは、できる限り自然のものを利用しています。

改装期間は「人生で一番大変だった」と苦労したようですが、丁寧に細部までこだわって作られています。例えばこのテーブルは、脚の部分を回すと外すことができ、机が必要ではないときは簡単に片付けることができます。

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足のとれるテーブル

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天井にも木が!

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曲線にするのは、手間もコストも通常の倍かかるそう。

一度しっかり座っちゃうと、なかなか動きにくくなって、近くにいる同じ人としか話せないのはもったいないなって。だからワンキッチンでは、あえて半分しか座れないようにしています。全体的にも丸くして、みんなで囲めるようにしました。

何とも居心地のよいこの空間の秘密は、「人がどうやったら仲良くなるか」というデザインを徹底的に考えて設計されていたから。そんなワンキッチンが生まれるまでの長い旅路を、原崎さんに聞きました。

アメリカで大自然と出会う

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ワンキッチンを運営する原崎拓也さん

原崎さんの原点は、旅。
最初の旅は19歳のときでした。

大学受験に失敗して、海外へ行こうとロンドンの語学学校に通っていたとき、兄と鉄道でヨーロッパを一周したんです。その時初めてバックパッカー用の安い宿があるのを知って、こういうところに住みたいと思いました。

日本に帰国して入試に挑みましたが、なんとまたも不合格…。ならば、「今度は暖かい国に行きたい」と、ハワイ・ワイキキへ。語学学校の近くにあったバックパカーズに住み、旅人と接する毎日を過ごしていたそう。その中でも、長く旅をしている人は「人間がちがう」ということに気づいたと言います。

10年とかずっと旅している人は、ものすごく優しくて、「自分もこうなりたい」と直感で思いました。ある時、世界一周しているイギリス人の女の子に会って、話しているうちにこういう人と恋に落ちたいな、それには自分も旅人になるしかない、と思って(笑)

そんなことを思いながら、再びお兄さんと車でアメリカ横断の旅に出ます。そこで、今につながる出会いがありました。

なぜかプレーリードッグを見に行こうって盛り上がってナショナルパークに行ったとき、もう、この世のものとは思えないほどの景色に感動しました。

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大自然が広がるナショナルパーク

大自然に圧倒され、その後アメリカのナショナルパークめぐりをしたそう。さらに、それだけでは飽きたらず、一人で南米を縦断しながら大自然をめぐるバックパックの旅へ。

アマゾン川を船で下っていると、熱帯雨林が広がっていて、その森から出た水蒸気が雲になって、それがまた別の森に雨が降って…っていう水の循環を見たときは本当に衝撃的でした。そういう偉大な自然を体感するうちに、「環境の仕事をしたい」と思うようになりました。

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南米ボリビアのウユニ塩湖にて

そんな思いとともに帰国後は、旅先で知り合った人に紹介してもらった、東京の「ガイジンハウス」に暮らします。

当時はまだ“シェアハウス”がなかったけど、「ガイジンハウス」は家を借りられないアウトローな外国人が集まって住んでいる一軒家でした。いろんな違いを越えて、笑ったり怒ったり…というのが凝縮されていましたね。大変なこともあったけど、「日本人」を飛び越える普遍性が身についた経験になりました。

初めての建築仕事は、バリのエコリゾート

転機となったのは、その「ガイジンハウス」を経営しているオーナーからの誘いでした。

オーナーの人が、バリの近くにある島の土地を買って、そこにリゾートホテルを建設することになったんです。オーナーも環境に関心があったから「エコビーチリゾートをつくろう」って誘ってくれて。そんなのやったことなかったけど、こんな話、一生に一回くらいしかないと思って、一緒にやることにしました。

建築の知識も経験も全くない中、自分たちで設計し、地元の人に聞いて大工さんを探し、雇い、資材を仕入れ…時には騙されたりしながらも、3年の月日をかけて建設に取り組みました。

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建設のようす

その島は歩いて2時間ほどで回れる小さな島で、建設地はシュノーケリングができるような、きれいな海に面した立地。

「こんなきれいな海を汚してはいけない」と、パーマカルチャーについて書かれたビル・モリソンの本一冊だけを頼りに、下水は植物に循環するように整えたり、ホテルで使う石鹸はオーガニックのものを作ったりと、パーマカルチャーの仕組みも取り入れたそう。

こうしてなんとか完成させ、営業が始まると、「ここでやることはもうないな」と、また次の道へ踏み出します。

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「天国みたいな島」と原崎さん。

考えるよりも行動!植林するためにボルネオへ

「環境のことを、もう一度ちゃんと取り組みたい」と改めて考え、その中でも「植林」に注目します。中国の砂漠で植林して森をつくっている、伝説の日本人がいると知って、会いに行ったり。

そんなとき、日本人が一番木を切ってきたのが東南アジアのボルネオ島だということを知り、ボルネオで植林しよう!と、現地で活動しているNGOをいくつか訪問したそうです。

最後に会った団体の人たちがものすごくいい人たちで、ここで植えたら間違いない!と思って熱意を伝えたら、800本くらいの苗木を植えることになりました。でも、これが超ハードで。

蚊とかマラリアとかすごいし、伐採する側から命を狙われることもあるみたいで、みんな命がけで植林しているわけです。自分はここに一生いれないな、ジャングルには住めないな、と思いました。ここはこの人たちに任せよう!と(笑)

結局、ボルネオで伐採しているのもパームオイルを作るためで、それを消費しているのは先進国なんですよね。だから自分たちの暮らしを変えないと、何も変わらないなと思ったんです。

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ボルネオでは植林に挑戦

日本で自分たちの暮らしを変える提案をしていこう!と決意新たに帰国すると、ある変化に気づきました。

都会の真ん中に食卓をつくる

当時(2009年頃)、シェアハウスが広まっていて、自分が「ガイジンハウス」に住んでいたときは「他人と共同生活なんて怪しい」というイメージがあったけど、今はみんなコミュニティとか、つながりとかを求めているんだな、と感じました。

コミュニティが満たされてないと、環境問題にも目がいかず、つながりを持てる場所の必要性を感じたと言います。

シェアハウスに住んでいた時はいつも大勢で作って食べていたし、バリでもスタッフみんなで一緒に食事していたのを思い出して、みんなこういう経験が足りないんだな、と気づきました。

特に都会では10人集まれる部屋に住んでる人も、10人分の食器を持っている人も少ない。だから、東京の真ん中に食卓を作ろう!と思いつきました。

とは言え、最初は手探りで、友人からも「“キッチンを借りる”って、ないでしょ!」と共感してもらえなかったようです。それでも「自分が行き着いたのがそれしかなかった」と、とにかくやってみることに。

場所は山手線内と決め、見学した一件目で即決。

真四角でフルリノベーションできる物件は珍しいんだけど、条件があったので、潰れる商売はどこでやっても潰れるべ!と思って(笑)、すぐに決めました。

改装は経済的に余裕がなかったため、「自分でやるしかなかった」のだとか。

父と兄が大工をやっていて、たまに手伝っていたから、なんとなくやり方は分かっていました。手伝ってもらった設計士の友達には「やるからには本気でやってね」と建築関連の本を10冊渡されて勉強しました。

それでも完成するのか?とか、初めての商売だし成功するのか?という不安はあったけど、とにかくやりぬこうと思って作りました。

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工事中の様子。ここで寝泊まりしていたそう。

こうして、2011年にオープン。ホームページも自分で作り、徐々に広まっていきました。今では日々予約の依頼が来ているようです。

友達の誕生日会とか、会社の新年会とか、普通に集まってごはん食べたり、ワークショップとかちょっとしたイベントを開いたり、みんな使い方はさまざまです。

10人くらいで貸し切りできるお店って少ないんですよね。場所代もかかるし、居酒屋に行く感覚で貸し切りできるようにしたかったんです。あとはやっぱりみんな仲良くなるし、誰かの家に集まる以外では一番理想的な集まり方じゃないかなと思います。

お客さんからも「こういう場所、求めてました!」という声をよく聞くそう。

旅をしてたときは、人と会っては別れるっていうのを繰り返してきて、「じゃぁ最後に一緒にごはん食べよう」という記憶がたくさん残っています。そういう一回の食の大切さを、みんなにも体験してほしいですね。

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建築はコミュニケーションのあり方を左右する

ワンキッチンを立ち上げた後、シェアハウスの改装や、パーマカルチャーを取り入れた庭づくりも頼まれるようになったそう。現在も、西荻窪にある古民家をリノベーションして、シェアハウスをつくっている最中だとか。自宅でも、棚やテーブルなどの家具はすべて手作りしています。

親が大工だったから、自分は大工になりたくないと思っていたんだけど、結果として大工に近づいてきていますね。(笑)

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同居人のメグさんと。このベンチも後ろの棚もすべてDIY!

家は身体と世界との境界線だと思っていて。家がどうであるかで、その人の人生はすごく変わる。日の当たらない家に住んでいたときは鬱っぽくなったし、光とか、風、香りも暮らしの中ではすごく大事。

ご自宅も、部屋を分ける扉が外されていて開放的。ちょっとした間取りも、コミュニケーションのあり方を左右すると言います。

部屋の中にいい家具があるかどうかじゃなくて、いいコミュニケーションができるか、というところまで考えられた建築に興味があります。例えばキッチンが奥にあったら、お母さんは料理をしているとき子どもと離れて寂しいし、人がどう動いて暮らしていくか、という視点が大事だと想います。

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テーブルも手作り。リトルトーキョーのワークショップで作った太陽光パネルやコンポストも。

原崎さんは「“箱”の可能性に縛られずに、暮らしやすく調整している」と言うように、この空間で何ができるか?この素材を何に活かせるか?と楽しんでいるのが印象的でした。

家に自分の生活を合わせるのではなく、理想の暮らしに合わせて家をつくるためには、世界を旅して原崎さんが気づいたように、既成概念を取っ払うことが近道なのかもしれません。

自然の恵みを取り入れながら、人と人がつながる空間をつくることで、コミュニティを豊かにしていく。原崎さんの人生の旅はまだまだ続きます。

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