昨年5月のある日、西荻窪にある静かな住宅街の路地裏に、こんな立て看板が現れました。隣に立っているのは、これからここに家を建てる予定のご夫婦です。ふたりのシルエットを象った等身大の看板は、一体何のために建てたものなのでしょう?
もうちょっと近くに寄ってみました。
工事現場でよく見る建築計画の看板、と思いきや、ここに住むことになるふたりの名前とプロフィール、この街を選んだ理由、地鎮祭のお知らせまで描かれていて、なんだかとってもユニークです。
実はこれ、「ご近所づきあいをデザインする」をテーマに展開された「いえつく5」という建築プロジェクトの仕掛けのひとつ。通常、建築工事は通行止めや騒音で、ご近所に迷惑をかけてしまいますよね。この看板は、そのマイナスの状況を逆手に取り、工事中の期間を、ご近所付き合いスタートのきっかけにしてしまおうという作戦のひとつなのです。
施主のふたりは、小さな雑貨屋や飲食店、新旧の民家が混在する、家の前の狭い「通り」に惚れ込んでこの場所を選びました。そこで、プロジェクトを手掛けた「いえつく」は、“通りに住まう”をコンセプトとし、家が建つまでの約半年間、この場所で、「ご近所づきあいのデザイン」のための仕掛けを次々に展開していったのです。
工事中からスタート!“ご近所づきあい”のデザイン
それでは、この家が建つまでに繰り広げられた作戦の数々をご紹介しましょう。
看板を立てた後、まず仕掛けたのは「青空ネイル」です。施主の奥さんはネイリストで、この場所でネイルサロンを開店予定。そこで、この街のお祭りに参加する形で2日間限定の「青空ネイル」をオープンし、地元の方々と交流の機会を持ちました。
その後、工事が進むと、家に養生シートがかけられますが、どう見ても殺風景。そこで、シートに家の形の絵馬をぶら下げ、通りがかる人に、自由に絵やメッセージを描いてもらいました。
道行く人は立ち止まって絵馬を手にしたり、眺めたりするようになり、養生シートは、瞬く間にカラフルな絵馬でいっぱいになりました。
さらにふたりは、これらの活動の記録を、「通りに住まうWEB」にて、公開していきました。看板のことや絵馬のこと、竣工の挨拶にまわる様子など、未来のご近所さんとのお付き合いを目に見える形で表現しました。
「通りに住まうWEB」
そしてゴールは、竣工後の「ご近所祭」。工事中の迷惑に対するお詫びと、今後の挨拶の意味を込めて、ご近所のみなさんを新居に招待しました。当日は、ご覧の通り大人も子どもも、たくさんの“ご近所さん”が大集合。この場で初めて顔を合わせた方や、顔は知っていたけど初めて会話をした方もいて、新たなコミュニケーションが生まれました。
予想以上の早さでつながった“ご近所さん”
以前マンションに住んでいたとき、なるべく人と顔をあわせないないようにして生活しているような感じがあって、気持ち悪かったんです。個人的には、家を建てるからには、その場所に根を張って住むというか、「地域に住む」みたいなことができたらいいな、と思っていました。
この家の前の通りは、普段から道ばたで歌っている人がいたり、雰囲気のある小さなお店があったりして、とても気に入ったので、「地域」から「通り」に対象を絞り、「通りに住まう」をコンセプトにしました。リビングにいるような気軽さでこの通りにいることができるような、そんな人間関係をつくっていきたかったんです。
と語るのは、この家に住み始めて約2ヶ月、施主であり、「いえつく」のメンバーでもある角田大輔さん。当初、引っ越ししてから時間をかけて実現したいと考えていたご近所さんとの関係づくりが、引っ越し前のこの数ヶ月で一気に実現してしまったと言います。確かに「ご近所祭」の写真を見ると、お互いに古くから知り合いだったように思えるほど、関係性ができあがっているように見えます。
絵馬が一瞬で全部描かれてしまったり、ウェブを読んで共感の書き込みをしてくれたり、予想以上に近所の方が参加してくれて、僕自信も驚きました。
「ご近所づきあいのデザイン」は、このプロジェクトの最初のフェーズに過ぎません。これから本当のご近所づきあいが始まり、最終的には、例えば、この通りに名前をつけるなどして、住んでいる人の共通意識や通りに対する愛着みたいなものが生まれるといいな、と思っています。
「いえつく5」の家にお集りいただいた「いえつく」メンバーのみなさん。左から、角田大輔さん、穂積雄平さん、多田直人さん。
家づくりを純粋に楽しむ「いえつく」プロジェクト
「いえつく」プロジェクトが始動したのは、2005年。角田さんはじめ大学の建築学科時代の仲間が集まり、仕事以外のマイプロジェクトとして活動を始めました。メンバーはそれぞれ企業に所属し、建築設計、広告、グラフィックなどを手掛ける6人(結成当初は5名)。週末や夜の時間を使って打ち合わせや設計をこなし、次々とユニークな家づくりを行ってきました。
三角形の敷地の現代風長屋(いえつく1)、屋外シアターのあるバリ島のVilla(いえつく2)、古倉庫をリノベーションした美容室(いえつく3)、自然の中に建つバリ島の住宅(いえつく4)など、これまで彼らが手掛けた建物からは、どれも作り手の遊び心が感じられ、ホームページの写真を眺めているだけでも楽しくなってしまいます。
いえつく3
いえつく4
「いえつく」は、メンバーのひとりが「自分の家を建てたい」と言い出したことがきっかけとなり、家づくりを純粋に楽しむことをコンセプトに活動を始めました。僕らは堅めの会社で大きなビルなどを設計していて、経済合理性を求められ、そこにあまり笑顔を感じられない仕事をしています。それはそれで社会のためには必要なのですが、もっと共感を得られるような、そこに人間を感じられるようなものを発信していきたい、と思ったんです。
と語るのは、メンバーの水野義人さん。設計においては、施主との対等性を重要視し、丁寧なコミュニケーションによって考え方に共感しあう関係性を築きながら、ひとつひとつの活動を積み重ねてきました。
「いえつく」メンバーの三谷健太郎さん(左)と水野義人さん(右)
目的は利益ではなく、あくまで楽しむこと。そんなスタンスで「いえつく」プロジェクトに取り組む彼らが、何よりも大切にしているのは、メンバー6人全員の共通の価値観です。
儲けることを目的にしてしまうと、チームワークの面でギクシャクすることもあると思います。そうじゃなくて、僕らは、単純にモノづくりを楽しむことにプライオリティをおいています。お施主さんから話をもらったら、必ず着手する前に全員で話し合い、共通の価値をつくることを、今も例外なくやっています。夜な夜なファミレスで、ケンカのような本気の打ち合わせをしていますよ(笑)。
“よりよい社会”に向けたモノづくり
「自分の仕事は本当に人を幸せにしているのか?」そんな疑問を抱いて「いえつく」を始めた彼らが、現在に至るまでの過程でつくりあげてきた共通の価値観は、何だったのでしょうか。
「いえつく1」の着工の半年後に、敷地すぐ隣のおじいちゃんが孤独死してしまったということがありました。もともと人のつながりを多く感じていた地域だけに、かなりショッキングな出来事で、その後のプロジェクトの中でも、人のつながりや、地域の人とのコミュニケーション、持続可能性など、よりよい社会に向けたモノづくりを意識するようになりました。そんなときに立ち上がったのが、「いえつく5」。これまでも考慮していた「施主の想い」や「敷地」という軸に、「地域」を加え、コミュニケーションのデザインという視点のプロジェクトになりました。
たどり着いたのは、“よりよい社会”に向けたモノづくり。「ご近所づきあいのデザイン」というアイデアは、彼らが建築のプロフェッショナルとして、真剣にモノづくりと向き合う中から生まれたものだったのです。
ここでは紹介しきれませんでしたが、「いえつく5」には、通りに面した場所に段々状のテラス(デザインは「PEA…」が担当)を配置したり、玄関から2階のネイルサロンに至る空間を「招きいれる」空間としたり、建築的な視点からのユニークな仕掛けも随所に見られます。(建築に関する資料等は、ホームページからダウンロード可能)
今後、この家をハブとしてこの通りのコミュニケーションがどのように変化していくか、楽しみですね。
年末には、ご近所さんを集めて餅つきも行いました。
建築は、建物をつくるだけで終わりじゃない
「いえつく5」を経て、今後、「いえつく」プロジェクトはどうなっていくのでしょうか。
基本的には、新しいプロジェクトが始まったらお施主さんとのコミュニケーションから始める、というスタンスは変わりません。でもそのときに、これまでの「お施主さんと僕ら」という関係性から、もう少し面的な拡張もあり得るのかな、と思っています。
例えば、民家を美容院に再生する「いえつく6」では、クライアントの社長だけじゃなく、スタッフの皆さんと飲みに行って話を聞いて、みんなにとって、よりよいものをつくろうと考えました。こんな風に、関わるレンジを、デザインとか空間とか表層的な部分だけじゃなくて、彼らがどのようにサービスを行うのか、どうしたらコミュニケーションが生まれるのか、といったところまで広げていきたい。
建築って建物をつくるだけで終わりじゃないと思うんです。建物をつくっても、人が来る空間じゃないと意味がないですよね。そこに関わる人の行動もデザインするような、そんな関係性や社会性にまで介入していきたいと思っています。
「いえつく」に取り組む彼らの心は、“永遠のピーターパン”なのだとか。純粋にものづくりを楽しむ彼らの取り組みは、「人間関係」や「社会」という軸を持って、さらに広がっていきそうです。