「暮らしのものさし」では、ただ消費者として暮らしを営むのではなく、自分の暮らしをデザインする、“暮らしのつくり手”たちを紹介しています。※この特集は、SuMiKaとgreenz.jpが共につくっています。
みなさんは、シェアハウスで暮らしたいと考えたことはありますか?
リビングやキッチン、バスルームなどを共有し、各住人の個室をプライベート空間とする共同生活のスタイルは、今や暮らしかたの選択肢のひとつとして、広く知られています。
今回ご紹介する「ウェル洋光台」も、そんなシェアハウスのひとつ。
横浜駅から電車に揺られること20分。洋光台駅から徒歩3分ほどにある「ウェル洋光台」は、社員寮だった物件を、住人たちの手でリノベーションしたシェアハウスです。リビングやキッチンを共同で使うなど、普通のシェアハウスと何も変わりません。
でも「ウェル洋光台」は単なるシェアハウスではないようです。
行為を贈る、食べ物を贈る。
パーマカルチャーの理念の取り入れ、 “贈り合い”を住人同士が日々行う、いわば”未来の暮らしの実験場”。それが「ウェル洋光台」です。
そんな、アーバン・パーマカルチャーの最前線ともいうべきシェアハウス「ウェル洋光台」をgreenz.jp編集長の 鈴木菜央と一緒に訪ねました。
オーナー代行の戸谷浩隆さんと鈴木菜央の対談から、あなたの理想の暮らしかたを、ぜひイメージしてみてください。
暮らしが“贈り合い”で成り立つ、実験の場
まずは「ウェル洋光台」の中を、少し詳しくお伝えしましょう。
駅から歩くこと数分、程なく見えてくる3階建ての建物。青い壁が印象的なウェル洋光台に到着です。
早速、建物にお邪魔してみます。まず飛び込んできたのはおしゃれなリビングと、そこでハウスメイトに見守られる赤ちゃんの光景。
人と人が共に暮らすことにおいて、子どもの存在はごく自然なこと。子育てを「遠慮」ではなく、「当たり前」にみんなでやるのが「ウェル洋光台」です。
共同のキッチンでは年に一度のオープンデーにむけて、準備がにぎやかに進んでいます。気がつけば誰かいる、そんな賑やかなキッチンです。
気になる家賃は23,800円〜46,800円。その他、共益費やランドリー使用料などが「ウェル洋光台」で暮らす際にかかる費用です。
こちらはアリエッティの小部屋と呼ばれている“借りくらし部屋”。ドイツ人のエリックさんがなんと住みながらつくってしまったそう。
常にDIYし続けるのが「ウェル洋光台」のやり方。そうすることで、DIYの知恵を継いでいくのだそうです。
さらにこちらは物置を大改造して小部屋に。DIYの得意なハウスメイトたちの手でつくられたそう。木材など、小部屋つくりにかかった材料費や工賃はウェル洋光台がギフトとしてつくり手に贈ります。
リビングのそばにあるウェルマルシェ。ハウスメイトがお米を売ったりしています。
他にも、各階の廊下には、図書館のようにたくさんの本が並び、ハウスメイトが仕込んだ味噌樽やいつでも飲めるようにビールがいっぱい詰まっている冷蔵庫も。シェアハウスならでは、住人の産物として豊富な贈りものが並んでいます。
現在、個室24部屋に対し、単身者から子育て世代、また海外の人など、33名のハウスメイトが「ウェル洋光台」で暮らしています。
何だかみんな楽しそうで、暮らしが“贈り合い”で成り立っている、実験の場。そんな雰囲気は伝わりましたか?
本当に安心できる暮らしかたを考えたら、自然と“贈り合い”のシェアハウスに
ここからはオーナー代行の戸谷さんと菜央の対談をお届けします。 “贈り合い”で成り立つシェアハウスって、どういうことなのでしょうか。そして、そこにはどんな意味があるのでしょうか。
菜央 パーマカルチャーの概念を取り入れたシェアハウスの事例はまだ日本には少ないと思うのですが、「ウェル洋光台」はどうやって生まれたんですか?
戸谷さん 初めから意識したというより気が付いたらそうなっていたんです。人が本当に安心して暮らすことを突き詰めたら、人がつながり、贈り合う暮らしになっていたんですね。
菜央 “ギフト”ですね。
戸谷さん そうです。これからの暮らしを考えた時、こと都会ではパーマカルチャーの3つの倫理のひとつ “ピープルケア”が一番大事だと思ったんです。
ピープルケアとは、人に優しくということではなくて、まず人を知ることです。じゃあ、人本来ってどういうことかと考えたら、狩猟採集民族の暮らしかたにヒントがあると思ったんですね。
なぜなら、人類は7〜8万年もの間、狩猟採取で生きていたわけです。彼らはお金ってものがないから貯めることをしない。ちょっと仕事をして、あとは寝たり、歌ったり。贈り合うことが大好きで、争いを好まず、心から安心して暮らしていた。そうした贈り合うこと、安心して暮らすことが人間の本来の姿だと思うんです。
菜央 なるほど。
戸谷さん 今、忙しい人、余裕がない人が多くなって、本来の人間らしく暮らせなくなってますよね。だけど、狩猟採集に戻れるかといったら戻れない。だから、昔の知恵と現在技術の適正な融合が必要じゃないかと思ったんです。
本来の人間らしく、なおかつ現代に合う暮らしにしていく試みが必要だと。それがパーマカルチャーだと思うし、むしろ都会でこそ大事なテーマだと思ったのでその試みをシェアハウスという形でやってみたいと思ったんです。
コミュニティを運営しない。贈りたい人が贈ればそれでいい。
菜央 「ウェル洋光台」は、初めからパーマカルチャーがコンセプトのシェアハウスだったんですか?
戸谷さん いえ、僕は「ウェル洋光台」ができてすぐ、住人としてここに入りました。立ち上げの当初は、顔を会わせても挨拶さえしないようなシェアハウスだったんです。
2年ほど暮らして、結婚を機に一旦離れたんですが、その後、「ウェル洋光台」が住人の激減という状況に直面しました。オーナーからハウスのリニューアルを一任され、ボランティア管理人として2013年に家族で戻ってきました。
菜央 リニューアルで今のような「ウェル洋光台」に?
戸谷さん 自然に育っていったという感じです。僕には贈り合いで暮らすシェアハウスにしたいという思いがありました。それは最初にお話しした、人間本来の暮らし方をつくるということです。そのためには、できるだけ形式や決まり事を排除することが大事だと思いました。好きな人が好きなことをやるという運営方針です。
例えば、コミュニティをつくろうとなると、話し合いがあって、さあ、これが私たちの理念です! ってことになるじゃないですか。でも、みんなが決めたことをみんなで守るとか、そういうことに頼らないっていう方針なんです。
戸谷さん コミュニティって、人が暖かく暮らすための社会環境に浮かぶ船で、コミュニティを維持するっていうのは意外とひんやりとした世界だと思うんです。例えば、会社の運営って、リアリズムの上に夢を浮かべますが、メンテナンスとかって、ひんやりとしてるじゃないですか。
菜央 わかります。
戸谷さん それをやりたい人がやる。
僕はこういう場所をやりたかったので、この船底のメンテナンスを僕がやれば、あとは贈り合いでシェアハウスの運営はできるとリニューアル当初は思ってました。でも今はそうは思っていなくて。
菜央 というのは?
戸谷さん しばらくはそれでうまくいっていたんですが、運営に携わりたい人が出てきたら、意識の共有が必要になりますよね。運営スタッフと呼んでいたのですが、だんだん、あの人は意識の共有できていないとか問題が生まれて。贈り合うことで自由に暮らせるはずだったのに、運営チームが自由じゃなかった。
やらなきゃいけないことがあるのがそもそも違う。だからやらなきゃいけないことを一切つくらずに経営を成り立たせる覚悟を持ったんです。共用部分の清掃とかシェアハウスにあるべき概念やサービスをゼロにしたんです。サービスをゼロにしたので、運営スタッフという概念自体もなくなったんです。
本当に贈りたい人が贈りたいことだけやればそれだけでいい。それで意識の共有から脱したんですね。つまり、意識が同じ人の集まりでなくとも、贈り合いが成り立つコミュニティを実現できるようになったんです。
世の中に頼らない、持続可能なコミュニティをつくる。
菜央 なるほど。イメージは湧きますが、贈り合いで、かつ都会で暮らしが成り立つのか、疑問に思う人がいると思うんですけど。
戸谷さん いや、僕もここまで成り立つと思っていなかった(笑)
でも、意識の共有を脱したのは大きかったですね。理念で人を縛らないってことです。
菜央 意識は共有しないけど、現実を共有するイメージ?
戸谷さん そう。例えば掃除をするという行為を贈りたい人が贈ればいい。ルールや役割はないんです。でも、きれいになっている。
菜央 きれいにしたくなるようになっている。ギフトをすることで何か返ってくるから、みんな動く、ということですか?
戸谷さん 成り立たせたい人が、成り立たせたいことをやっているだけなんです。人は本来贈ることが大好きです。安心できていなかったり病んでしまっているからその気持ちが自然に出てこないだけ。
ギフトだけじゃなくて、ハウスのことを何でもやったら時給あげます、というシステムもあります。申請フォームがあって、申請すれば、次の月の家賃から差し引いています。行為をギフトしてもいいし、お金にしてもいい。
菜央 設備利用について、払う分ともらう分、両方があるんですね。
戸谷さん そう、ウィキペディア方式って呼んでいて。ウィキペディア方式っていうのは決めないってこと。なんでも持ち寄って、よく話して、自由にやってみるようにしてます。
菜央 おもしろい!
戸谷さん 改修のとき、個人のパントリースペースは増やさず、共有パントリーを増やしたんです。贈りたいものをどんどん入れて、それは自由に使っていいんです。だから、コーヒーもフリー、食べ物もフリー、じゃ、お金もフリーでいいじゃんってことでフリーお金。
調味料をこの中から買ってきて、買うという行為をギフトしてもいいし、買いに行く暇がないからここに寄付してもいい。何よりフリーお金は、誰もこのお金を盗んだりはしないというシンプルなこと。
菜央 うーむ、これはかなり衝撃的です。人間本来、いろんな意味で安心していると、コミュニティは成り立つし、贈り合える、ということですよね。では逆に、どうしてこういう状態、人が人らしく安心して生きていられる場所が世の中に増えないのでしょうか。
戸谷さん 人間って何だろう、ということを、知ろうとしないからだと思います。人は本来、争い合わず、縛り合わず、シンプルに愛しあっていたいだけだったんだと思うんです。人と共に暮らして、人を愛する、人本来のつながり方、そこが欠けてるんですよね。
学校で、社会を構成するためのいろんな概念や知恵を詰め込まれる。その知恵を、そのまま暮らしに持ち込んでやろうとしてるんじゃないかな。みんなで決めたことをみんなで守りましょうとか。でも、それは人本来の姿ではないんです。人の数だけ個性があるから、暮らしはもっと自由でいいはず。
人の姿を知って、贈り合う暮らしをする。それだけやっていたら、あらゆるものが溢れた、それだけなんです。だから特に都会では、”ピープルケア”だけをやっていれば大丈夫だと、あらためて確信したというか。都会には人のリソースが多いですしね。
菜央 活かされてないですしね。
戸谷さん そう。活かされてない。人を知って、人らしく活かされたら何がすごいって、例えば、「ウェル洋光台」は個人の光熱費、つまりエネルギーの消費量は、平均の半分以下なんです。
みんなここでDIYしたり、食事したり、贈り合ったもので暮らすのが楽しいから、あまり外へ出掛けない。だから、普通に働けばお金も貯まるし、もっと暮らしの時間を大切にしようと、仕事を辞めちゃう人もいる。お金も、エネルギーも消費しないんです。
持続可能を目的としなくても、自然と持続可能にならざるを得ないんですよね。普通に考えたら、贈り合いなんてとんでもない、成り立たないってことになりますよね。でも、ここには溢れるほどの豊かさがあるんです。
菜央 持続可能な暮らしが、結果としてもたらされるものなんだというとこですよね。グリーンズが「ほしい未来は、つくろう」と言っているのはそういうことで、持続可能社会をつくろうとは言わない。
みんながほしい未来を心に手をあてて想像して、毎日少しづつでもつくっていったら、まわりの人も自分も幸せになる。その結果、社会が持続可能な方に向かわざるを得ない。「ウェル洋光台」は、そういうことを実践してるんだなって思います。
ずっと安心して暮らせる、これからの暮らしかた
菜央 僕は大学卒業後に、平和な社会実現の実践の学び舎であるアジア学院というところで1年間暮らしました。そこは、“共に生きる”というモットーがあります。それ以来、僕はずっと“共に生きる”ってどういうことなんだろう?と思いながら生きてきました。どうしたらそれを社会の中で着地させていけるんだろうって、ずっと分からなかった。けど、「ウェル洋光台」はまさに、“共に生きる”の実験の場なんですね。
戸谷さん そう、実験。人のつくった概念、原理と自然の原理は違いますよね。でも本当は、すべて自然からもたらされているものじゃないですか。自分でやっていることなんて、ほとんどないんです。
今、人のつくった概念に囲まれすぎている。
だからなるべく概念から離れて、形をなくしていくことに意味があると思うんです。そうすれば、自然と贈り合いで成り立つ暮らしも実現するんです。
多くの人は都会に暮らしていますよね。リソースとして人が多いのだから、人が人を知り、活かしあえば、人らしく安心しあって暮らせるんです。結果として、持続可能社会にならざる得ない。都会の中のパーマカルチャーは大事なことだと思っています。
菜央 それが上手に戻っていく社会になればいいですよね。深い部分の“安心”を「ウェル洋光台」はつくっているんだなと思いました。
戸谷さん それはよかったです(笑) 単純といえば単純。でもそこが一番大事だと思うんです。ぜひグリーンズの読者のみなさんにもやってほしい。僕、いくらでも伝えますから。
菜央 それは心強いですね。僕がやりたいくらいです。
(対談ここまで)
贈り合いで成り立つ暮らし、持続可能なコミュニティとは、人を知り、人間本来の暮らしとは何かを振り返って考えてみると、自ずと実現していくものなのかもしれません。
人とつながり、人を知り、ウィキペディア方式で常に変化し続け、贈り合うことで溢れるほどの食べ物、安心と愛を得ることのできるシェアハウス「ウェル洋光台」。それは、都会にこそピープルケアを、というシンプルな答えから生まれていました。
最後に、印象に残ったハウスメイトの言葉を贈ります。
「ウェル洋光台」の住人になって気づいたのは、シェアというのは、一個のケーキをわけるのではないってことです。
このひとつの場所を満たしていく、エネルギーを注いでいくことがシェアなんです。そこから溢れてくるものがあって、自分に必要なものは返ってくる。
シェアはカットすることではなくて、持ち寄るってこと。だから「ウェル洋光台」のケーキは、モリモリの特大ケーキなんです。
持ち寄るからこそ溢れてくる、それがシェアということ。そんなシェアが増えていけば、暮らしはもっと自由になるのではないでしょうか。
日々にあるもの、日々を支えるもの。
お金や人との関係、もっというならば、太陽が昇り、空気があり、奇跡の星という地球で暮らしていること。
そんなことはただの事実にしかすぎず、改めて感謝したり、見返したりすることはないのかもしれません。
でも、もし、ひとつでも失ったとき初めてわたしたちは気づくはずです。
どんなに社会の中で地位を得たとしても、たくさんのものを所有し、豊かだと思う暮らしを実現していると思っていても、それは状況が変われば一瞬にして、失われてしまう豊かさであり、暮らしです。
本当に次世代まで続く暮らし方を実践する人が増えたら、どんな未来がまっているのでしょうか。明確な答えはありません。ないからこそ、やってみる価値はあると思います。贈りあう暮らしもまた、そんな次世代に続く新しい道なのではないでしょうか。
「ウェル洋光台」の暮らしには、私たちが次世代に渡したい「未来の暮らしかた」のヒントが詰まっています。
もし「ウェル洋光台」のこと、贈り合いの暮らしのことが気になったら、月に一度開催される「小さな市」に足を運んでみませんか?住人たちの手仕事や手料理があなたを迎えてくれますよ!
ライターのプロフィール
greenz ライター
湘南在住。大豆レボリューションに参加のち、大豆の魅力の虜に。大豆を育て、収穫、味噌を仕込むサイクルを基本とした365日を営む。大豆栽培7年目。神奈川県津久井在来種を化学肥料に頼らず、自然の力で収穫中。
※この記事はgreenzに2015年11月17日に掲載されたものを転載しています。