日本の面積のうち、約7割が森林。
そのうちの4割は、林業家が育てたスギやヒノキなどの森です。
とはいえ、木材輸入の増加にともない、林業や木工業、
日本の伝統工芸がサスティナブルでなくなっているのも事実。
いま日本の「木を使う」時かもしれません。
日本の森から生まれた、さまざまなグッドデザインを紹介している、
「木のある暮らし-Life with Wood-」(『コロカル』で連載中)より。
西粟倉村のスギを
全面的に使ってリノベーション
岡山市街地にある、見た目は普通のマンション。
しかし高校教員をしている大石智香子さんのお宅を訪ねると、
そこは木質化された別世界が広がっている。
ドアを開けた瞬間にフワッと漂う木の香り。
右を向いても左を向いても、木ばかりが目に飛び込んでくる。
大石さんは木を使った空間への憧れを、昔から持っていた。
マンションを購入後、リノベーションを考えていたとき、
岡山の西粟倉村にある〈西粟倉・森の学校〉と出合った。
“百年の森林構想”を掲げ、
村ぐるみで森林から地域づくりを行っている会社である。
ここにリノベーションをお願いすることにした。
「私は岡山県の県北、美作地域にある3つの高校に勤務していました。
西粟倉出身の学生が担当クラスにいたこともありますし、岡山市に来ても、
その地域の木材を使った家に住めるなんて喜ばしいことです」
森の学校から紹介された設計士が、
〈木工房 ようび〉の大島奈緒子さんだった。
ようびは、7年前から西粟倉村で家具の制作を中心に活動していたが、
3年前に建築設計部門を立ち上げていた。
ここから大石さんと大島さんによる、二人三脚のリノベーションが始まる。
「せまい玄関から、トンネルをくぐってリビングに行くような間取りを
変えたかったんです。ドアを開けた瞬間に開放感がほしかった。
だから広い玄関はお気に入りです」
部屋は全面的に木質化されている。
ほとんどの内装に採用されているのは西粟倉村のスギである。
「床材をスギにするか、ヒノキにするか、
サンプルを持ってきてもらいました。
でも、すぐにスギに決めました。香りこそヒノキがよかったですが、
さわった感触は断然スギが好みでしたね」
ここまで全面的にマンションを木質化する例は、まだそれほど多くない。
不安はなかったのだろうか。
「ある程度、腐食したり、変色したり、反ったりするのは、
木だから当たり前だと思っています。
もし何かあったら、大島さんに相談すればいい。
今後のメンテナンスを含めて、長いつき合いをしていきたい」
と笑顔で語る大石さん。
リノベーション時に、良好なコミュニケーションを取れていたようだ。
しかし当初は、漠然とした注文しかしていないという。
そこから、設計士の大島さんとコミュニケーションを重ねていった。
「大島さんや、森の学校のみなさんが
覚悟を決めてビジネスをされていることが、素人の私にも感じられました。
木を生かしたい、いいものをつくりたいという思いが伝わってきたので、
いい加減な仕事をされるというような不安はありませんでしたね」
家では素足で過ごし、
「土日に家事をしている時間が幸せ」と言う大石さん。
家での暮らしを存分に楽しんでいる様子。
「寝ないで済むなら、ずっと起きていて、
もっと長くこの空間を楽しみたいくらい」
と笑う。いやいや、ゆっくり寝てください。
それができるのも、木のある暮らしの利点だから。
木のある暮らしで、
暮らしている実感を手に入れる
「楽しみながら打ち合わせできました」とようびの大島さんは言う。
木質化はもちろんだが、そのうえで住む人が楽しく暮らせることが大切だ。
そのためには、お客様のライフスタイルをよく知ること。
「誰にも話したことがないことを話されたりします(笑)。
部屋の見ばえよりも、暮らしている方が
ジワジワといいなと思ってもらえるものを目指しています。
“早く帰って休みたい” “家でごはんをつくりたい”と思える
心の充足面をかなえることこそ、設計者のプライドだと思っています。
大石さんがどこに立つかな、どこに座るかな、どう過ごすかな。
そのときにパッと触れる場所に、
木があるようにしたいという気持ちでした」
ようびの家具は、さわり心地がいい。
だから家具だけでなく、部屋が木であふれていたら、
心地よい木のある暮らしになりそうだ。
それは暮らしているという実感につながる。
「木は加工性が高いですよね。ちょっと鋲で留めたり、釘を打ったり。
傷もつくけど、それが思い出になったり。
それは自分自身の暮らしに関わっていることと言えるんです」
現代の生活では、そのような機会が失われつつある。
木が取り戻してくれる暮らしもあるのだ。
ようびは家具のメーカーとして始まったが、
建築にも活動の場を広げ始めた。
どちらも、ようびの哲学を広めるために、必要なことなのだ。
「木造建築を建てる人は圧倒的に減っています。
家具に比べて、建築はすごくたくさんの量の木材を使うことができます。
山に対しても、自分たちの文化に対しても、役目が大きいと思っています」
とはいえ、マンションの木質化の例は、まだそれほど多くない。
しかし進めていくべき理由もある。
「私たちは、意識して西粟倉村に移住してきました。
でも、東京や都市部に移住した人たちは、そんなに強い意識ではなく、
進学や就職などで移住した人も多いと思います。
そのまま自然の流れで、結婚や出産となり、家を買うのか、
田舎に帰るのか、などの選択になっていきます。
そのときに、選択肢が少ないですよね。
都心部に新築の木造を建てるということは、なかなか難しい。
そんなときに、ちょっと家具に気を使ってみようとか、
内装を変えてみようという提案をしたい」
マンションの木質化は、まちに向けての提案ともいえる。
木のよさを知ることなく育っている都会の人たちも多い。
いわゆる田舎を持たない世代も増えている。
そんな人たちに、木がもっと身近で、心地よいものだと伝えたい。
「都心部の部屋でも、西粟倉の木材でリノベーションすることで、
ふるさとの意識を持ってもらえればうれしいです。
どんな土地のどんな森で、どんな人なのだろう?
と想像を広げてもらえるような。
単なるリノベーションではなく、“田舎つきリノベーション”です。
建築的なビジネスを超え、田舎と都会の問題をもっと大きく捉えて、
そのなかで木を使った展開をしていきたい」
こうした考え方を持って、ようびは東京に進出することになった。
2月と7月の2か月間は、
まるごと東京の奥多摩で生活し、仕事をすることにした。
社員も全員で奥多摩へ移動する。
ショールームや支店をつくっても、
ビジネスが多少大きくなるかもしれないが、
それほど大きな変化になるとは考えなかった。
「西粟倉村は、人口1500人程度の小さな小さな村ですが、
必死にやってきました。でももっと広げていけると思っています。
これまでは“西粟倉村に来てください”というスタンスだったんですが、
そう簡単には来てもらえません。
だからといって私たちがどこへでも行くというのも効率が悪い。
だからより近くで、まずは会いに行こうと。
それで興味を持ってもらえたら、次は西粟倉へどうぞ、とお誘いしたい」
西粟倉での活動の手を緩めるつもりではない。
でも、西粟倉だけがよければいいわけでもない。
あくまで、日本の森と、笑顔の未来のため、東京へ行く。
新築の木造一戸建てを建てることはハードルが高くても、
木質化したリノベーションならできるかもしれない。
それだけで、暮らしぶりはぐっと変わるだろう。
editer profile
大草朋宏
おおくさ・ともひろ●エディター/ライター。東京生まれ、千葉育ち。自転車ですぐ東京都内に入れる立地に育ったため、青春時代の千葉で培われたものといえば、落花生への愛情でもなく、パワーライスクルーからの影響でもなく、都内への強く激しいコンプレックスのみ。いまだにそれがすべての原動力。
information
map
- 住所
- 岡山県英田郡西粟倉村坂根43
- TEL
- 0868-75-3223
- URL
- http://youbi.me/ec/
※この記事はcolocalに2015年8月14日に掲載されたものを転載しています。