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ぼくらが小屋をつくる理由
2016年 2月29日

小屋には、“その人らしさ”が現れる。スピリタス徳永青樹に聞く、小屋づくりから見えてくるもの

ぼくらが小屋をつくる理由

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長野県諏訪郡原村の農作業小屋。作者不詳

長野県諏訪郡富士見町で、現在は使われなくなった牛舎を工房にして、もらったり拾ったりした素材からさまざまな空間を生み出す活動をしている「スピリタス(元グランドライン)」。

SuMiKa主催の小屋フェス(2015年長野県茅野市にて)の会場設営をしたり、パン職人のためのパン小屋をつくったり、農作業のための小屋をつくるなど、小屋との関わりが深いスピリタス徳永青樹さんに、小屋の魅力について話を聞きました。

小屋には、
どうしようもなく“その人らしさ”が現れる

たとえば田畑のかたわらにある農作業小屋において、小屋を建てようと思ったタイミングに、その人の人生に何が起こっていたのか。小屋は、人の背景や経緯、思い、それらがぎゅっと凝縮してかたちになります。徳永さんは、小屋というものに現れる、そうしたストレートさに惹かれると言います。

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スピリタス 徳永青樹さん

そもそも小屋を建てる動機って、いろいろな制約をとっぱらったところにある、自分自身の根源的な、あるいは原始的な欲求からきていると思うんです。計画性のなかで生まれてくるものではなくて、衝動的だからこそ、その欲求にどれだけ早く簡単に、でも過不足なく満たせるかがシンプルに実現されているんですよね。

結果として残る空間は、研ぎ澄まされた無駄のない表現でつくられていて、その人に由来した、それしかないというものになっているのです。

素人もプロも関係ない、
ものづくりの本質がある

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長野県諏訪郡富士見町の農作業小屋。色の選択に迷いがなく、ビビットな色が極限までシンプルなかたちに合っている。小屋を地面に固定するために貼られた針金は、特別な金物をつかうのではなく、ねじることで引っ張りが効いている。作者不詳

また、小屋を建てるという行為には、ものづくりの本質があると言います。

小屋を建てる人が、それまでの人生でどんな自然と対峙してきたのか、土や石、木に触れて、そうしたものから何を感じてきたのかということと、今、身のまわりにどんな素材があるのか、そこに創意工夫があって、かたちづくられていく。人が持っている“背景”からしかつくれない、というのはものづくりの本質ではないかと思います。

手を動かしてみると、分からないことがいろいろ出てくるけど、その答えは学問にあるのではなく、それまで自分が見たり触れたりしたもの、つまり既に自分のなかにあるものだと徳永さんは話します。

もっと言うと、職業として家を建てる人が出てくる以前は、命をつなぐために、当然のように自然の摂理に従って、その辺にあるものを使って誰もが小屋をつくってきたわけで、そうやってつくられた小屋は華美ではないし、かたちだけのつじつまが合っているような変なデザインもない。必要不可欠なものとしてそこにあるんです。

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長野県諏訪郡富士見町の農作業小屋。壁(波トタン)が脱着式になっている小屋。3色の配列に2本の細い横線が効いている。おそらく年に一度くらいの頻度で開閉されるこの壁を脱着するために、もっとも簡単な方法をとっている。使っている素材はビニールハウス用のパイプと配線コード。作者不詳

何をどう使うか。身の回りの素材でつくる、
小屋の自由さ

身の回りのものでどうやって小屋をつくるか、いかにその辺にあるものを材料にするか。寄せ集めてつくることを“ブリコラージュ”といいますが、小屋はブリコラージュの塊だと徳永さんは言います。

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長野県諏訪郡富士見町の、おそらく鶏小屋。ナイロン製のバンドをつかって扉の蝶番(開閉するための金具)の代わりにしている。作者不詳

いいなと思う小屋は、身のまわりにある何かしらのものを、こんなふうに使ったのか、というアイデアに尽きるんです。もともと持っていたのか、小屋をつくろうと思った瞬間に目の前に現れたのか、つくる最中に探してきたのか。その素材を入手した経緯に、その人の人生というと大げさだけど、生きかたというか、普段どんな人やものと接していて、何をどう見ているのかが現れる。用途はもちろん、寸法ひとつとっても寸分狂わずピッタリ、というのは素材を買わない限り難しいから、創意工夫のあとがあって、それがいいんです。

たとえば富士見町にある農作業小屋をみまわすと、ビニールハウス用のパイプと配線コードで壁材をとめたり、ナイロン製のバンドを使って扉の蝶番の代わりにしています。

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長野県諏訪郡富士見町の農作業小屋。上の写真は、屋根材を切らずに並べることで心地よいリズムのあるかたちになっている。下の写真は、向こう側から朝日が入ることで中央部分にステンドグラスのような効果が見られる。光とベニア板の対比が美しい。作者不詳

時代をさかのぼれば、生きものや自然、建物や道具といった、あらゆるものがつながっている世界が当たり前にあったはずで、現在のように断絶している状態ではなかったと思う、と徳永さんは続けます。

今から、あらためて美しい世界を描こうとするなら、誰かに選ばされるのではなく、自分自身と自然を背景とした選択することが大切です。つくっている瞬間に身の回りにあるもの、飛び込んできたものごとを、自分に関係のあることとして、素直に受け入れることができるかどうか。小屋はそのサイズ感ゆえに、発想したものがそのままのかたちで実現しやすいから面白いんです。

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長野県諏訪郡富士見町の農作業小屋。上の写真は、無彩色のなかにひとつだけ色があることで、その赤がいきいきとしている。下の写真は、鍵が新しく取り付けられていたり、古い扉がベニア板やトタン板の切れ端で補修されていて、古い小屋に新しい素材がほんのわずかに入ることで、この小屋が現役のものとして存在している。作者不詳

ちなみに、小屋と同じ感覚で高層ビルをつくることは難しいものです。大きな建物をつくろうと思ったら、計画性のなかで精度を担保したものでないといけないし、大きくなればなるほど、同じものを積み重ねていったり、並べていったりする発想になって、こうしないと成立しないといった理由でつくられていきます。もしかすると、つくり手の自由な思考が奪われているとも言えるのかもしれません。

色づかい、素材、かたち、つくりかた、建てる場所の選びかた。単体でみると、小屋ってすごくビビットなんです。人間と自然の接点が気持ちのいいものであるか、目の前に起こっていくことに違和感はないか、その判断の積み重ねでつくっていくからこそ、“個でありながらも全体の一部である”ということが成り立つ、唯一無二な小屋になるんだと思います。

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徳永青樹さん率いるスピリタスが会場設営をした「小屋フェス」のゲート小屋。壁材として使った切羽板(せっぱいた)は、丸太を製材する際に出る切れ端で、一般的に建築物には使われないが、製材屋に頼んで譲ってもらったもの。

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同じく「小屋フェス」のステージ(撮影:増村江利子)。稲刈り後の稲を干すために使われるはぜ棒を番線(針金)でとめている。はぜ棒は、茅野市周辺の農家を訪ね歩いて交渉し、譲ってもらったもの。

考えてみませんか。
小屋を建てるとしたら、どんな小屋になるだろう。
そこには、普段は忘れてしまっているかもしれない“自分らしさ”がありそうです。

そして、安易にものを買わずに、今身のまわりにあるもので工夫してつくるという小屋のありかたは、自然のなかに置かれている、人の生きかたにも通じるものがあるのかもしれません。

Text 増村江利子
Photo 砺波周平

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