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暮らしのものさし
記事作成・更新日: 2016年 4月15日

週末は、里山で遊び倒そう! 暮らしを“外注”から取り戻して里山でつくり、遊ぶ、週末里山再生プロジェクト「ヤマナハウス」

暮らしのものさし


「暮らしのものさし」では、ただ消費者として暮らしを営むのではなく、自分の暮らしをデザインする、“暮らしのつくり手”たちを紹介しています。※この特集は、SuMiKaとgreenz.jpが共につくっています。


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今、各地で商店街や空き家、古民家を再生したプロジェクトがたくさん生み出されています。greenz.jpでも古民家を図書館に再生した「星空の家」や、里山を遊び感覚で再生する「大磯農園」など、そこにあるものを生かし、新しい人の流れや課題解決をした事例をお届けしてきました。

これからご紹介する「ヤマナハウス」もそんな古民家再生プロジェクト。千葉県南房総市にある築300年といわれる古民家や荒廃した土地を、週末人が集まり自分たちの欲しい場所にしていくプロジェクトです。でも、ちょっと様子が違うようで…。

普段は都心で働くIT関係やデザイナーといった異業種の人々が集まり、土地の開墾、古民家再生など「シェア里山をつくろう!」と動き出したのが「ヤマナハウス」です。今回は、気づけば都会から地方に人の流れを生み、都会で生活する人の暮らしをもう一度考える場として発展し続ける「ヤマナハウス」プロジェクトをご紹介します。

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都心から1時間半の里山を遊び尽くす

まずは「ヤマナハウス」がどんな場所なのか、そこで何が行われているのかをお伝えしましょう。千葉県館山市、JR館山駅から車で走ること30分。南房総市の山中にその拠点はあります。スタートは2015年の夏。大きな古民家を中心とした畑と裏山、合わせて8000平米ほどの里山がヤマナハウスの活動の場です。現在、都心から12名ほどのプロジェクトメンバーとその仲間が通い、作業を進めています。長年、休耕地だった畑を開墾するところから始まり、畑づくり、作付け、古民家再生の着手などを行ってきました。

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築300年といわれる古民家がヤマナハウスの拠点です。

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荒廃した畑の開墾から活動はスタート。麦や豆などの作付けもできるほどになりました。

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屋根裏に積もった古い萱や土ぼこりを取り払う作業もメンバー自らの手で行われました。

屋根裏の清掃作業や老朽化した床の張替え、 畑づくりと、週末通いながら進めていったという古⺠家や里山の再生。 実は周辺の地域は高齢化が進んでおり、限界集落をはじめとした社会問題はここでも例外ではありません。

改修にあたり、挨拶回りを始め、積極的にコミュニケーションを取ったところ、今では「ここを盛り上げてね」と声をかけられるほどに。地元のひとが機材を貸してくれたり猪肉のお裾分けがあったりと、地域との関わりも深めながら、里山再生を進めています。

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本格的なリノベーションもプロジェクトメンバーや来訪者が知恵と技を出し合い行われています。

また、都心からのアクセスの良さも魅力のひとつ。ヤマナハウスのある南房総市までは都心から高速バスを利用すれば1時間半ほど。車でもアクアラインを抜けて2時間という都市近郊エリア。

手軽に訪れることができる距離感も相まって、プロジェクトメンバー以外の来訪者も含め、1年間でのべ200人もの人がヤマナハウスを訪れては改修に加わったり、自然を満喫したり、思い思いに里山を楽しんでいくそう。まだまだ古民家は改修中ですが、週末になるとこの里山に集まって畑仕事をしたり、バーベキューをしたりと、都会では味わえない体験を楽しんでいます。

都心からエスケープする場所を、自らつくる

里山をまるごと再生するという大規模なプロジェクトのように感じるかもしれませんが、特筆すべきは”地域再生”にこだわる訳ではなく、週末、都会から気軽に訪れ、“エスケープする場所を自らつくる”ことがヤマナハウスが始まった理由だということ。

プロジェクトに関わるメンバーは現在12名。そのほとんどが都内での勤務を生業とする、IT関連企業に務める人やデザイナー、ブックセレクター、建築士に法律家、映像ディレクターといった人たちです。一見、地域再生やリノベーションにほど遠い都会生活を営む人たちがなぜ里山再生プロジェクトを立ち上げるまでにいたったのでしょうか?ヤマナハウスのプロジェクト発起人、永森さんにその背景について伺いました。

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東京と千葉の2拠点生活を経て、2008年南房総市に移住。

ヤマナハウスとの出会いは、僕が2拠点生活を送っていたところから始まっているんです。僕は東京出身、東京育ち、東京で就職。「ap bank」がプロデュースする「kurkku」に在籍していました。

環境関係に勤めている人には ”あるある” なんですが(笑)、都会育ちで、かつ都内で環境関係の仕事をしていると、生活も精神的にもエコロジーじゃないことに気づくんです。なんだか違うぞと。それで東京からエスケープする場所を求めて辿り着いたのが、都内にも通勤が可能な南房総でした。まずはアパートを借りて、東京と房総の2拠点生活を始めました。

その後、千倉町の一軒家を借りて滞在しながら、地元のNPOが主催する米づくりの ワークショップに参加していたんです。そこに集まっていた知人・友人を中心にこのプロジェクトは始まりました。そのうち、ご縁でこの「里山付き築300年の古⺠家」を紹介されました。それが「ヤマナハウス」、本格的に里山再生を始めたきっかけです。(永森さん)

2014年夏、知り合いから10年位以上空き家となっていたヤマナハウスを紹介された永森さん。当時、米づくりのプロジェクトを通じて出会った仲間たちと現地を訪れます。そこで目にした当時の様子を「まるで凝ったおばけ屋敷だった」と永森さんは笑います。

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屋根裏の掃除もダイナミックに。
“できる人ができることをやる”が「ヤマナハウス」のスタイルです。

確かに「本当にやるのか?」という感じはありました。でも、里山丸ごとっていう拡張性がいいと思ったんです。なぜかというと、DIYが得意じゃなくても、農家じゃなくても、なにかしら訪れた人にできることがあるからです。それが魅力的だと思いました。(永森さん)

こうして里山再生がスタートしました。大家さんとの契約はまずは2年、法律家のメンバーを中心に相談を重ねることで、活動に対する理解を得たそう。広さにして8000平米の里山まるごとがヤマナハウスの活動の場となりました。

気になる改修資金ですが、シンプルにメンバーがひとり10万円を出資したそう。10万円というと大きな額のような気もしますが、12ヶ月に置き換えると一ヶ月1万円以下。週末、東京で少し遊べばすぐに出ていってしまう金額だとメンバーは捉え、“シェア里山”という週末の遊びに投資したと言います。

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里山通いから農業に興味を持ち学び始める人もいるとか。

こうして、ひとりひとりが東京ではできないエスケープを週末満喫できる、そんな場づくりが実現していったのです。

暮らしを”外注”から取り戻す

メンバーがそれぞれやりたいことを週末、都市近郊で楽しむ。そんな「ヤマナハウス」ですが、週末に都心から「ヤマナハウス」へ通う意義はもう少し深いところにあると言います。

東京というか都会の暮らしって、暮らしにまつわるあらゆることを外注していると思うんですね。その外注されたものを、誰かが仕事として担っていて、お金という媒体を通して成立している世界。でもそれって、関係性の希薄な暮らしですよね。そうではなくて、生業ではなくても、仕事が暮らしにつながる”職住一体化”を体感できる場所が今必要だと思うんです。

暮らしを外注から取り戻す、つまり、暮らしに活かせる技術力や知恵を身につけることで都会での暮らし方や里山の見え方が変わる人が増えれば、いろいろな社会課題が自ずと解決するんじゃないかなと。(永森さん)

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この日は“炭焼き名人”が駆けつけ、竹炭づくり体験。本職はCGデザイナーさんです。

2年前、米づくりに参加したことをきっかけにヤマナハウスのプロジェクトに携わってきた村井さんは、里山通いの醍醐味をこう話します。

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本職は設計士という村井さん。
一年目の古民家改修では実際床貼りなど普段触れることの少ない現場作業に奮闘したそう。

集まる仲間が異業種なこともあるんですが、里山での滞在を通してメンバーそれぞれの意外な個性や特技を発見できるところが面白いですね。(村井さん)

暮らしを外注から取り戻すということは「一言で言うと障子が貼れるか」ということだと村井さんは言います。

障子の貼り替えをしたときに、メンバーみんなで試行錯誤しながら上達していく様子を目にしました。小さな失敗はしてもいい、そこから学ぶことが人それぞれにあるんですよね。暮らしのベースになる”生活力”って、そうやって備わっていくものなんじゃないかな。

僕は設計が専門ですが、大工としては素人。ここでは床を張ったり建具を直したり、少し専門的な作業もするけど、プロではないから一発でビシッとつくれないことが多い。そこでも同じように小さな失敗から学び続けている。頭で考えるだけではなくて、手を動かしてみて気付くアイディアも多いんですよね。結果として、このヤマナハウスで週末を過ごすことが日々の暮らしに還元されていると思います。(村井さん)

さらに永森さんは、ヤマナハウスが里山に人が通うモデルケースになれば、とも。

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実際、東京にほど近いここでも、過疎化は進んでいるんです。でも、東京は去年8万人も増えました。この一極化に対して自分が何をするかを考えたときに、東京に生活や仕事があっても人をひっぱってこれる場所をつくりたいと思いました。

自分なりの里山をみつける楽しさ、懐かしさから“外注”しない暮らしを体験し、さらに、この場所に人の流れをつくる。結果として現代的かつ楽しみながら課題解決につながると思います。都会生活者のほとんどが、仕事を持ち運べない。だったら通う人がいてもいい。広い意味で、衣食住の“外注”を外して、自分たちの手でつくっていく拠点がヤマナハウスであり、私たちの活動の本質だと思います。

週末の里山通いから始まった「ヤマナハウス」。2年目を迎えてチャレンジしたいことは増えるばかりだとメンバーは笑います。

失敗してもいい。草野球をするように、里山を再生することを楽しむ

それぞれが職能を生かし、また畑違いのことも体験しながら、都会にいながらも、衣食住、暮らしをつくる術を学ぶ。それはかつて”村”が機能していたように異業種の人が集まって、それぞれの力で地域を支えることに似ているのかもしれません。また、暮らしをつくる価値を見いだせる場づくりをする、それがシェア里山プロジェクト「ヤマナハウス」でした。

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メンバーの赤ちゃんも昔ながらの縁側でご機嫌!

最後に、ヤマナハウスがつくっていきたい未来について伺いました。

草野球をするように里山を再生するプロジェクトでありたいですね。草野球って、三振して、「わっはっは!」と笑って、ビールがうまい! みたいなところがあるじゃないですか。失敗してもいいから、里山を楽しみながら再生していきたい。それに、草野球があってプロ野球がある。今は古民家再生や里山利用はプロフェッショナルが手がけるがこと多いですよね。

そうじゃなくて、草大工、草農家に週末なってみる。そんな草の部分が多く集まってできていく場づくりもありだと。一部のスターや大きな資金源がなくてもできる里山再生だったら、きっといろんな場所で再現性があるんじゃないかな。(永森さん)

里山や古⺠家には、昔からここで暮らしていた人の知恵の形跡が残っているんですよね。”草”でいいからここで実際やってみて、その知恵を見つけられるようになると、この場所の見方や関わり方が変わっていくと思うし、都心に戻っても、普段の暮らしの中で新たな価値や楽しみを見付け出す力が高まっていくんじゃないかな。(村井さん)

失敗してもいい、学びながらやってみるみんなの古民家再生。

ヤマナハウスが目指す、具体的なゴールは今のところないそうです。

仕事だったら、ゴールも結果も必要だけど、ぼくらはまだ旅の途中だし。あくまでここで何かしらを楽しむ、ということに尽きていいんじゃないかな。ヤマナハウスの魅力は来てもらえればわかりますよ。ぼくらはただ楽しみながら、この場所丸ごとの魅力をわかってくれる人を受け入れるだけ。(永森さん)

プロじゃなくてもいい、きちんとできなくてもいい。訪れる人がそれぞれ関わりを模索しながら里山をつくっていく、そんな大らかさもまた、都会にはない「ヤマナハウス」の豊かさなのかもしれません。

週末の過ごし方、里山の暮らし、ちょっと気になったら、週末、ヤマナハウスを訪れてみませんか?まだまだたくさんの可能性があなたを待っていますよ。

(撮影: 荒川慎一)


※この記事はgreenzに2016年04月08日に掲載されたものを転載しています。

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