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100年以上もつ家

イタリアのフィレンツェに住んでいて、イタリア人と結婚してしまった、友人に家にいってきました。

参考BLOG記事
http://office2006.kayac.com/index.php?itemid=35

500年前に建てられたそうです。とてもいい感じでした。石でできている家。個人的にとても魅力的です。(日本の風土だと合わないのかな・・・)日本よりも家一軒あたりのコストは当然かかると友人からは聞かされました。日本とイタリアでは、当然風土も違いますし、イタリアでは地震がないようですから、マンションなどをみてても素人目からも危険なのではないかというようなものも街で結構みかけます。だから同じ条件では建てれないにしても、500年とは言わないまでも、日本の家屋の寿命が30年〜50年(?)だとしたら、100年以上もつような家というリクエストで過去にてがけた住宅はありますか?あれば教えてください。3軒建てないと理想の家は作れないというフレーズもよく聞くので、いきなり最初の新築でそのリクエストを個人的に出すには勇気がいるとは思いますが、メインのテーマとして考えてみたいことの1つです。ただなぁ、イタリアには相続税がない(そうです)からそういったことができるんだよなぁ・・・

このアドバイスは、旧HOUSECOの家づくり相談のアーカイブを移行したものであり、現行SuMiKaが提供する機能と齟齬がある場合があります。

専門家の回答

2件

2006年 6月15日
ご質問の回答とはならないのですが、建物の耐久性と日本人のすまい感について、書かせていただきます。

「100年以上もつ家」というのはないのですが、「地震に安心できる家」という事で作ったものはあります。
地震には敏感であるけれど、「100年もたせる」という意識が強い方は、日本には多くはないと思います。自分が生きてはいない100年後、その存続を望んでも、本心では、「なくなっているかも・・」と考えているようにみうけます。
結局、日本において、建物は耐久財ではなく消耗品であり商品なのです。ようするに価値は土地にしかないのです。
もちろん多くの設計者がそんなふうに、期間限定のものを考え作っているわけではありません。
ただ、「住み継ぐ」「使い続ける」そうゆう意識・感性・体験が、いつの頃からか、この国にはなくなってしまいました。
家を建てる多くの人の本心は「子供の代には好きにすればいい」と考えられていると思います。つまり、壊す事を否定してはいないのです。古い家でも、手を加えれば、耐震性もアップするし現在の暮しに適応できますが、それなりに金額がかかります。「それなら建て替えようか」となります。そして新築する事が業者にとっても利益になる事だから、積極的に改修をする事は、本心では好みません(そうではない業者も当然います)。

現在、大先生となられているある建築家が設計したコンクリートと鉄骨の家が売りに出されたのですが、結局買手がつかず、壊され、土地を2分割にし、建売が建つ、という過程を最近見続けています。また、最近、ある大地主の家が根こそぎ壊され、更地になってしまいました。地域のシンボルだった大きな大きな木もばっさり伐られてなくなりました。「草木一本も残らず」状態です。日本において建築とはいったいなんだろう、と考えさせられた出来事でした。(相続税という悪法の結果なのですが・・)

「100年もつ」・・それはノーメンテナンスではあり得ません。
「住み続ける」という意識、「手をかける」という意識、、
それを持つかどうかにかかっている事なのだと思います。
一般の人が持つ高額なモノのベスト2は「家」と「車」だと思いますが、それは同等の扱いのように感じてしまいます。。

要領を得ず、長々と失礼しました。

ただ、私はこの問題をとても大切に考えています。
やなさわさんはじめ、他の人の考えも聞いてみたいです。
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ユーザーの返答

2006年06月16日

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志田さん

回答ありがとうございます

共感できます。

自分の考えをまとめようと思いましたが、まとめようとなると、政治、経済、教育・・・と多くの領域にまでおよんできそうな内容なので、ちょっと勉強不足ゆえうまくまとめることができません。

2つほど思ったことを。

「MOTTAINAI(もったいない)」という言葉を大切にしようという運動があるように、「住み継ぐ」「使い続ける」ことをどうやったらできるのか?ということについて、我々世代の周りをみても関心の高い人は少なくないです。(いつの時代もそうい風潮はあるのでしょうか、それとも最近高まってきているのか?どうなんでしょう?)

そして、近所の大きくて古くて素敵なお屋敷が、更地にされてしまうのをみて、気持ちが良いと思っている人はいないような気がします。

限られた資源の中で生きていることは、誰もがわかってはいるのだと思います。

ですが、資本主義の波にのまれて右往左往している日々の自分の生き方を振り返ると、なかなかいろんな意味で余裕もなく何もできてない状態というのが大半なのだと思います。

そんな中で、「住み継ぐ」「使い続ける」ことができる社会になるためには、個人として何ができるのか?

日々の生活の中で負担にならず、気軽にできること。シンボリックな意味をもち、それでいて、確かな手ごたえとして先につながっているように感じ取れる行動。何かそんなこと初めの一歩的な行動案を、建築家の方々の視点で何か出てこないかなぁ・・・と思いました。(すみません、他人任せで)

それが1つめです。


2つめに思ったことは、相続税がなくなれば、「やむをえず手放す」ということは減るのだと思いますが、それと同時にまた別の問題が出てくるのでしょうから、そんな単純なことではないことはわかります。

ですが、古いものが取り壊されていく現状に誰もが喜んでないのだから、それを止めるために何かしら新しいルールは作られないものかな・・・と期待したいし、個人的には毎年毎年、思考錯誤して、新しいルールが加わる社会になった方がいいいのになと考えます。

ですが、新しいルールを導入しようとすると、反対する人が必ずでてくるというのも事実。反対する人の思考は、本質的に「変化を望んでいない、自分が変わる気がない」ということなのだと考えています。だから、「住み継ぐ」「使い続ける」、「古き良きものを守る」ということが、もし、そういう発想のもとに生まれてきたものなのだとしたら、事態は良い方向に向かうとは、私個人的に思えません。そんな風に考えていくと、

「和」にこだわって活動を続けている友人がいってた「伝統は守るべきものではなくつくっていくもの」

という一言を思い出しました。この考え方がポイントになるような気がします。

建築家との家づくりも、 家を「つくる」過程できっとこういった問題に直面するたびにコミュニケーションを図りながら、前進していくのでしょうね・・・

2006年 6月16日
やなさわさん、ありがとうございます。

本当に、一個人が吠えたところでどうにもならないし、このコメント欄の1000字の中では納りきらないし、いろいろな立場の人達が集まって考えていかなければならない問題ですね。

>「住み継ぐ」「使い続ける」ことができる社会になるためには、個人として何ができるのか?

まずは、想像する事じゃないかなと考えています。
「100年後はどうなっているのだろうか?」
そして
「自分が今やっている事は、確実に未来につながっている」
それを自覚する事だと思います。
100年後には、自分の子供達は生きているのです。その子供達に負担させる事は「平気」なのか・・

根本的に「自分さえよければいい」という潜在意識はだれにでもあるだろけれど、なんだか蔓延しているように感じます。
今の世の中にあふれている。

ゴミ:自分の手元からなくなれば、見えない事にする。
エネルギー:自分が楽になるためにはどんどん使う。

たとえば、そんな事です。
でも、その先どうなるのだろう・・ほとんどの人は考えませんよね。
ゴミの山を残して死にますか?
原発たくさん作って死にますか?
極端かもしれないけれど、現実にそうなります。

そうゆう事の根本は「暮し」であり「住まい」にあるのだと思います。

・・・

でも、「昭和」を好んだり、「古い家」を楽しむ事ができる若い世代に期待しつつもあります。

うまい事まとめられないのですが・・
もう1000字なってしまうか・・?
矢印
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ユーザーの返答

2006年06月17日

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>そうゆう事の根本は「暮し」であり「住まい」に
>あるのだと思います。

そうですよね。

>でも、「昭和」を好んだり、「古い家」を楽しむ事ができる
>若い世代に期待しつつもあります。

がんばります!
(っていうほど、私ももう若くもないですが・・・)

いずれにせよ、ふと投げた質問で、考えさせられる回答をいただきありがとうございます。

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